概要
西暦193年(紀元193年)はユリウス暦の平年であり、ローマ帝国の政治的混乱で最もよく知られている。この年は「五人皇帝の年」として有名になった。これは、皇位をめぐる急速な継承と対立する主張が相次いだ短い時期であり、帝位継承の脆弱さと軍の影響力を浮き彫りにした。
「平年」とは何か
193年を平年と呼ぶのは、ユリウス暦で閏年ではなかったという意味にすぎない。暦法上の注記を別にすれば、この年はローマ政治を大きく変え、セウェルス朝の成立へとつながる出来事で記憶されている。
ローマの危機と五人の皇帝
192年末に皇帝コモドゥスが暗殺された後、ローマでは統治者が次々と交代した。193年初頭、プブリウス・ヘルウィウス・ペルティナクスが元老院によって皇帝に推戴されたが、近衛軍の一部によって殺害された。続いて近衛軍は帝位を競売にかけ、マルクス・ディディウス・ユリアヌスがこれに勝って短期間統治した。しかし複数の属州司令官と軍団はこの売買を拒み、自ら皇帝を名乗った。特にドナウ属州のセプティミウス・セウェルス、東方属州のペスケンニウス・ニゲル、のちにはブリタンニアのクロディウス・アルビヌスが重要である。
直後の影響
セプティミウス・セウェルスは軍団の忠誠を背景にローマへ進軍し、ディディウス・ユリアヌスを廃位して処刑し、都市を掌握した。彼の台頭は、この混乱した継承の終わりとセウェルス朝の始まりを示し、皇帝権力を軍と属州により強く結びつけた。対立候補との戦いはその後の数年間も続き、内戦は193年を越えて展開した。
他地域とより広い背景
ローマの外でも、2世紀末はユーラシア各地で地域的な分裂と軍事的衝突が続いた時期だった。中国では後漢の中央権力が弱まり続け、地方の軍閥が勢力を固めていた。この過程は3世紀初頭の三国時代へとつながる。東方や辺境地域でも、地域紛争や王朝交代が政治地図を形づくっていたが、193年のローマの出来事ほど密接には結びついていない。
主な人物と遺産
- ペルティナクス — 短期間皇帝となり、改革と近衛軍の抑制を試みたのち殺害された。
- ディディウス・ユリアヌス — 近衛軍から帝位を買い取ったが、すぐに倒され処刑された。
- セプティミウス・セウェルス — 軍団により皇帝に推戴され、その台頭は軍事色の強い新たなローマ統治の時代を開いた。
- ペスケンニウス・ニゲルとクロディウス・アルビヌス — それぞれの主張がさらなる争乱を招いた属州の競争者。
193年の出来事は、軍事力、制度の弱さ、派閥対立がいかに急速に帝国の指導者を変えうるかを示している。この年の混乱は、ローマの統治、軍事権力、そしてローマ本国と属州との均衡に長く影響を及ぼした。