1189年(MCLXXXIX)は、ユリウス暦における12世紀末の年である。1187年にサラディンによってエルサレムが奪取された後、西ヨーロッパと東地中海世界との間の緊密な関わりが続いていた時期に当たる。この年は、とりわけ第三回十字軍の舞台を整える出来事と、西方諸王国における政権交代で記憶されている。
主な出来事
- 1189年にアッコン包囲戦が始まった。これはレヴァントで行われた長期かつ戦略的に重要な包囲戦で、複数のヨーロッパ諸国から騎士や物資が集められ、1190年代初頭まで続いた。
- イングランドでは王位継承が起こり、ヘンリー2世の死後、息子のリチャードが1189年に王位を継いだ。彼は、間もなく始まる十字軍に関わる西方の主要君主の一人となった。
- 新たな十字軍への動員が進み、フランス、イングランド、神聖ローマ帝国の統治者や貴族たちは、エルサレム奪還を求める教皇や民衆の訴えに応じた。その結果、1189年を通じて大規模な兵員募集、資金調達、外交活動が行われた。
こうした政治的背景には、ヨーロッパ諸君主の間で高まる緊張と変化する同盟関係があった。彼らは国内の課題と、海外遠征に必要な兵站および財政上の負担とを両立させなければならなかった。同時代の教皇書簡や説教はレヴァントへの軍事的救援を促し、君主たちは借款、船舶、兵力の手配を交渉した。
社会的・経済的影響
十字軍への熱狂は国内社会にも大きな影響を及ぼした。西ヨーロッパの一部では、熱狂的な民衆運動に伴ってユダヤ人共同体が襲撃や脅迫を受けた。これらの事件は、1190年代初頭に続く、さらに深刻な暴動の前触れとなった。また、十字軍遠征の資金調達は財政を圧迫し、税の徴収、官職の売却、収入の担保、借入がより広く行われるようになった。王や諸侯は、遠方での作戦に備えるために兵力を整えようとしたのである。
レヴァントでは、アッコン包囲戦によって、この地域が国際的な軍事協力と競合の焦点となった。その長期化、甚大な死者数、そして戦略的重要性により、アッコンは第三回十字軍の交渉、海上作戦、そしてその後の取り決めにおける中心的課題となった。
遺産と特筆事項
歴史的には、1189年は東地中海におけるラテン・キリスト教世界とイスラム勢力との対立を激化させる一方、ヨーロッパ内部にも政治的変動を促した節目の年とみなされている。この年は、単一の決定的な戦闘よりも、広範な動員、王位継承、そしてそれに伴う社会不安によって記憶されている。