1193年の出来事と主要人物 — 事件・誕生・死去・各国首脳
1193年の主要出来事を年表で総覧。事件・誕生・死去、各国首脳の動向を簡潔に紹介し、歴史把握や研究に役立つ一冊。
内容
1 イベント(出来事)
2 誕生
3 死去
4 各国首脳(主な統治者)
イベント(出来事)
- 日本 — 富士の巻狩と曽我兄弟の仇討ち(1193年)
源頼朝が主催した大規模な狩猟行事「富士の巻狩」が行われ、その場で曽我兄弟(曽我祐成・曽我時致/俗に曽我兄弟と呼ばれる)による仇討ちが発生しました。兄弟は父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を襲い、祐経は討たれます。弟側の行動は最終的に捕縛・処罰につながり、この事件は後世に「曽我物語」として語り継がれました。 - イスラーム圏 — サラーフッディーン(サラディン)の死(1193年1月4日)
十字軍と戦いエジプト・シリアを統一したアイユーブ朝の建国者、サラディン(Salah ad-Din, 通称サラディン)が1193年1月4日に没しました。彼の死後、領土は息子や近親者たちに分割され、結果としてアユーブ朝内部における勢力争いや地域ごとの自立化が進み、地域政治の再編が始まりました。 - イングランド・ヨーロッパ — リチャード1世の捕囚(継続中)と外交
第三回十字軍から帰還の途上で捕らえられたイングランド王リチャード1世(獅子心王)は、1192年末から1194年まで捕囚された状態が続き、1193年も引き続き神聖ローマ帝国側での監禁・身代金交渉が行われていました。この期間、国内では弟ジョンによる権力掌握の企てや、各国でリチャード奪還のための外交・財政的努力が続きました。 - 北インド — ゴール朝(ムハンマド・ゴーリー)の勢力拡大(1192年以降の余波)
1192年の第二次ターレインの戦いでムハンマド・ゴールが北インドで勝利した後、1193年もその支配体制の確立と地方統治の強化が進んでおり、北インドにおけるイスラーム王朝の基盤形成が続きました。
誕生(主な記録)
1193年に関して、世界的に広く知られる一線級の人物の出生記録は限られています。中世の記録は地域や年代により不完全であり、多くの貴族や地方領主の出生年は確証が乏しい場合があります。以下は確認できる範囲での注記です。
- 一般的な注意:1193年に生まれたと推定される人物は、地方史や家譜にのみ現れる場合が多く、広く知られる王侯や宗教的指導者の正確な出生年として確定されているものは少ないため、詳しい個別名は地域史を参照してください。
死去(主な人物)
- サラーフッディーン(サラディン)(Salah ad-Din, d. 1193年1月4日) — アイユーブ朝の創始者、エジプト・シリアを統一した軍人指導者。
- 工藤祐経(くどう すけつね) — 日本で曽我兄弟に討たれた武士(富士の巻狩の仇討ちで死亡)。
- 曽我祐成・曽我時致(曽我兄弟) — 仇討ちのうち、祐成は戦死、時致(弟)は捕縛・処罰されるなど、1193年の事件で命を落とす・処分される結末となりました(史料により扱いに差異あり)。
各国首脳(1193年の主な統治者)
1193年当時に実権を持っていた、または名目上の主要な君主・指導者(地域別の主な人物)を挙げます。
- イングランド:リチャード1世(Richard I) — 捕囚状態にあり、実務は代理や国内勢力に委ねられる局面。
- フランス:フィリップ2世(Philip II Augustus) — カペー朝国王、王権強化を進める時期。
- 神聖ローマ皇帝:ハインリヒ6世(Henry VI) — 皇帝としてイタリア・ローマ問題や南ドイツの勢力均衡に関与。
- ローマ教皇:ケレスティヌス3世(Celestine III) — 教皇職(在位1191–1198)。
- ビザンツ帝国:イサキオス2世アンゲロス(Isaac II Angelos) — 東ローマ皇帝(在位の一時期、1185–1195の統治期)。
- 日本(朝廷):後鳥羽天皇(在位は1183–1198の間に実際の政治は摂政・権門と複雑に交錯)および幕府の実力者として源頼朝(Minamoto no Yoritomo)が1192年に征夷大将軍に任ぜられ、実権を握っていました。
- アイユーブ朝(サラディンの死後):1193年のサラディン死去に伴い、領域は息子や近親者に分割される動きが起きました。エジプトには息子のアル=アジズ(Al-Aziz Uthman)ら、ダマスカスやアレッポには各地の相続人が配され、短期的には分割統治の形となりました。
- インド亜大陸(北部):ムハンマド・ゴール(Muhammad of Ghor)系の支配者たちが勢力を拡大しつつあり、現地の旧勢力との力量関係の変化が進行していました。
補注(史料と解釈について)
1193年は地域によって記録の密度や正確さに差があるため、出来事や人物の年次は史料に依存して解釈が分かれることがあります。特に日本の「曽我物語」のような事件は後世の文学的脚色が強く、細部の年代や出来事の経緯は史料批判が必要です。中東や欧州の出来事も、当時の年号換算や編年のずれに注意してください。
必要であれば、特定地域(日本・西欧・中東・インドなど)についてさらに詳細な出来事年表や人物事績を追加できます。どの地域を詳しく補足したいか教えてください。
イベント
- サラディンが死去し、エジプトとシリアのクルド人アユーブ朝の領地が彼の子孫に分割される。
- グール人の奴隷司令官クトゥブ・ウド・ディンがデリーを占領。
- クトゥブ・ウド・ディン率いる将軍ムハンマド・ヒルジが、インド最大の仏教大学であるナーランダを略奪、焼失させる。
- フランスのフィリップ2世がデンマークのヴァルデマール1世の娘インゲボルグと結婚する。
出生数
- 第5代ダービー伯爵ウィリアム・ド・フェラーズ(1254年没)
- アルベルトゥス・マグヌス ドイツの哲学者・神学者(1280年没)。
- ヨハネ3世 ドゥカスヴァッツェス ビザンティン皇帝(1254年没)
死亡者数
各国首脳
- イングランド - リチャード1世イングランド王(在位:1189年~1199年)
- フランス - フィリップ2世、オーギュスト・フランス王(在位:1180年~1223年)
- ビザンティン帝国 - イサクII世アンゲルス(在位:1185年~1195年、1203年~1204年)
- 教皇 - セレスティヌス3世 (教皇 1191-1198)
- 中国 - 宋の光宗皇帝 (在位:1189年~1194年)
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