紀元前13年(ユリウス暦) — 年表と概説:ネロとヴァルスの執政
紀元前13年のユリウス暦を年表で解説。ネロとヴァルスの執政、暦の始まりや重要出来事を分かりやすく紹介。
紀元前13年は、ユリウス暦の金・土・日曜に始まる通年か、金・土曜に始まる閏年であった。当時は、ネロとヴァルスの執政の年として知られていた。
暦法上の注意
ユリウス暦は紀元前45年に導入され、本来は4年ごとに閏年を置く仕組みでした。しかし初期には閏年の扱いが誤って運用され、実際の閏年配列には混乱が生じました。これにより古代のある年が閏年であったか否か、また最初の曜日が何曜日であったかは、史料や復元の方法によって見解が分かれる場合があります。本文冒頭にあるように、紀元前13年についても「金・土・日曜に始まる通年」あるいは「金・土曜に始まる閏年」といった表現が併記されることがあります。
ローマにおける年の呼称 — ネロとヴァルス
古代ローマでは年を番号で呼ぶ代わりに、その年の執政官(コンスル)2名の名前で年を特定する慣習が一般的でした。したがって「ネロとヴァルスの執政の年」と言えば、当該年に執政官を務めた人物の組み合わせを指します。歴史記録では執政官名が年記の主要な見出しとなるため、同年を参照するときには当該執政官の名前が手掛かりになります。
時代背景と出来事(概説)
紀元前13年はアウグストゥス(オクタウィアヌス)のプリンケプス(帝政初期)の支配下にあり、ローマは内政の整備と辺境の防衛・軍制改革を進めていた時期です。地域ごとの細かな出来事については古代史料の伝達や断片性のため確定しづらい面がありますが、全体としては帝政の安定化や属州行政の強化が続いた年代と捉えられます。
史料と注記
- この年に関する具体的な事件や人物の出生・死亡については、現存する古典史料が限られるため、資料批判や年代の復元が必要です。
- 暦の扱いや閏年の是非についての議論は、後世の暦改正(例えば8年頃のアウグストゥスによる閏年の是正)を踏まえて読む必要があります。
- 当該年を調べる際は、ローマの公式年表(コンスル表)や古代の歴史家の記述、近年の学術研究を併せて参照すると理解が深まります。
補足:上記は暦法とローマにおける年の呼称、当時の大づかみの状況に関する概説です。特定の出来事や人物に関する詳細な年次配列を確認したい場合は、古典史料の原典(例:カッシウス・ディオ、ウェレイウスなど)や近代の学術文献を参照してください。
イベント
出生数
- ドルス・ユリウス・カエサル(ティベリウス・クラウディウス・ネロとヴィプサニア・アグリッピナの息子)(AD23年没
- ネロ・クラウディウス・ドゥルスと小アントニアの娘リヴィラ(AD31年没)。
死者数
- アエミリウス・レピドゥス・パウルス ローマ元老院議員(概算)(前77年頃生まれ)
- マルクス・アエミリウス・レピドゥス
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