1634年は、近世初期の諸紛争や人の移動によって形づくられつつあった世界において、軍事・政治・植民活動が活発だった年であった。ヨーロッパでは長期化する三十年戦争が、なお外交上の同盟関係と軍事的な優劣を左右していた。海外では、イングランド植民者がアメリカ大陸の本土における初期の領主植民地の一つを築いた。文化と知的生活は、バロック的な趣味と科学的観察の影響拡大を反映していたが、政治・宗教上の対立は多くの公的人物の活動を制約していた。
主要な政治・軍事事件
この年は、三十年戦争の流れを変えた二つの出来事によって最もよく記憶されている。1634年の晩冬、帝国軍司令官アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインは、かつてハプスブルク君主国で最も強大な軍事指導者であったが、失脚し、その後暗殺された。さらに同年9月6日には、ノールトリンゲンの戦いで、カトリック側がスウェーデン軍およびドイツのプロテスタント勢力に対して決定的勝利を収めた。これらの出来事は、中央ヨーロッパにおけるプロテスタント側の軍事的影響力を弱め、ハプスブルク家とそのスペインの同盟者に軍事的主導権を取り戻させる結果となった。
植民地拡大と北アメリカ
大西洋の向こうでは、1634年はイングランド植民の注目すべき節目となった。ボルティモア卿の派遣した入植者の一団がチェサピーク湾地域に上陸し、メリーランド植民地を築いたのである。ArkとDove号の到着、そしてポトマック川沿いの入植地の建設は、イングランドのカトリック教徒の避難地となることを意図しつつ、プロテスタントの入植者も引きつけるための領主植民地的統治モデルを導入した。メリーランドの初期法制と入植のあり方は、その後の数十年にわたって、独自の社会的・宗教的性格を形づくることになる。
文化、思想、社会
1630年代初頭は、芸術、音楽、建築においてバロック時代に属していた。政治的安定が許す地域では、公開演劇、信心表現のための美術、そして精緻な宮廷文化が栄えた。科学的探究も着実に勢いを増していた。新しい考えをめぐって近ごろ論争に巻き込まれた著名人物、なかでも1633年に裁かれたガリレオは、観察と実験に基づく方法の形成に影響を与え続け、しかもその影響力はさまざまな程度の非難を受けながら保たれていた。ヨーロッパ各地では、印刷物と外交官・兵士・商人の移動が、戦時下の混乱にもかかわらず、ニュース、流行、実用知識の拡散を促した。
意義と遺産
1634年の出来事は、ヨーロッパ政治と海外植民の双方における長期的な再編に寄与した。ドイツでのプロテスタント勢力の軍事的後退は、のちの平和交渉へとつながる新たな外交戦略を必要とし、メリーランドの成立は、イングランドの大西洋世界に永続的な植民地政治体を加えた。この年に見られた戦争、定住、文化活動の結びつきは、17世紀半ばの歴史における軍事、宗教、帝国の相互作用をよく示している。
主な出来事と人物
- 1634年2月:帝国軍司令官アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインの失脚と暗殺。
- 1634年3月:チェサピーク地域でメリーランド植民地を築いた入植者の上陸。
- 1634年9月6日:ノールトリンゲンの戦い。三十年戦争におけるカトリック側の大勝。
これらの項目は、その年の最も重要な出来事のいくつかを示しているが、1634年にはこのほかにも、ヨーロッパ内外の各地社会に影響を及ぼした無数の局地的行動、法的措置、文化的出来事があった。