アフマド・チャラビ
イラクの政治家・反体制派指導者。イラク国民会議を率い、2003年以降は暫定石油相や副首相を務めた。大量破壊兵器に関する信頼性が争われた情報との関係から、論争の的となった人物。
概要
アフマド・チャラビ(1944年10月30日生まれ)は、2003年のイラク侵攻をめぐる前後数十年にわたり重要な役割を果たしたイラクの政治家、反体制派人物である。亡命中の反体制派グループを率い、後にサッダーム・フセイン政権崩壊後の暫定行政機構で職務に就いた。支持者は彼をイラクの変革を訴える擁護者とみなし、批判者は信頼性に欠ける情報を助長し、イラク政治を外国の利害と絡ませたと非難した。アラビア語による氏名表記は伝記資料で言及されることがある。アラビア語
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1 画像政治経歴と公職
チャラビは海外在住中、イラク反体制派の指導者として頭角を現した。サッダーム・フセイン失脚後にイラクへ戻り、暫定政府で職務を担った。主な役職は以下のとおりである。
- 暫定石油相(2005年4月~2006年1月)
- 移行政府副首相(2005年5月~2006年5月)
また、体制転換への国際的な支持を求めた反体制派の連合組織、イラク国民会議の議長を務めた。戦後初期には影響力を有したものの、2005年12月の選挙では議会議席の獲得に失敗し、その後は直接的な政治的影響力が衰えた。政府での職務に関する概要の一部は、イラク政府の公式記録および解説にこちらでまとめられている。
論争と世評
チャラビの評価は、いくつかの論争によって形作られた。彼は一部のイラク反体制派情報源と国外の政策立案者をつなぐ重要な仲介者であり、そのネットワークに関連する情報の一部は、後に批判者や調査報告書から信頼性が低いと判断された。また、財務上の不正行為や、国家の統一よりも個人的または派閥的な利益を優先したとの非難にも直面したが、これらの主張は本人が否定したもの、あるいは一様に立証されなかったものだった。こうした争いにより、彼はイラク国内と国際政治の双方で二極化を招く人物となった。
遺産と死去
チャラビは、サッダーム・フセイン後のイラクの移行をめぐる評価の分かれる象徴であり続けた。独裁に断固として対抗し、代替案を築いた人物とみる者がいる一方、亡命反体制派と外部勢力が国内の現実を誤認しうることを示す警鐘とみる者もいた。2015年11月3日、バグダードのカーディミーヤ地区にある自宅で心臓発作により死去した。死去は地域・国際メディアで報じられ、地元の記録ではその場所がバグダードにあると記されている。
主な事項
- 2003年以前のイラクの将来をめぐる議論の形成に寄与した、有力な亡命反体制派運動を率いた。
- 移行政府で短期間に要職を務めたが、2005年の国民議会では議席を獲得できなかった。
- 外国の情報機関・政策関係者との関係は、彼の影響力と、その後に生じた論争の双方にとって中心的な要素だった。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com アフマド・チャラビ Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/113399
出典
- aljazeera.com : "Veteran Iraqi politician Ahmed Chalabi dies at 71"
- washingtonpost.com : "Chalabi Named Iraq Oil Minister"
- bbc.co.uk : "Ahmed Chalabi, Iraqi politician who championed US invasion, dies"