概要

ピーター・アレクサンダー・ルパート・キャリントン、第6代キャリントン男爵(1919年6月6日 – 2018年7月9日)は、英国の世襲貴族であり、長く保守党の重鎮として活動した政治家である。冷戦期から20世紀末にかけて、ウェストミンスターで要職を務め、その後は北大西洋同盟を率いた。1982年、アルゼンチンがフォークランド諸島へ侵攻したことを受けて外相を辞任し、閣僚責任をめぐる議論でしばしば言及される。

生い立ちと公務

1919年、貴族の家に生まれたキャリントンは、軍務と上院議員としての職務を両立させた。多くの同世代と同様、第二次世界大戦に従軍し、その後は公的生活と政党政治へ進んだ。こうした経歴により、彼は生涯にわたって防衛と国際関係に深く関わることになった。

政治経歴

キャリントンは、政治家として、保守党の中で重要な存在だった。1970年から1974年まで国防大臣を務め、緊張の続く冷戦期に防衛政策の運営に当たった。1979年に保守党が政権に復帰すると外相に任命され、1982年までその職にあった。この時、フォークランド諸島へのアルゼンチン侵攻を事前に防げなかったとして辞任し、外交・情報の連携における不備について閣僚としての責任を引き受けるものだと説明した。

外務省を離れた後も、キャリントンは国際的な役割を担い続け、1984年にはNATO第6代事務総長に就任し、1988年まで務めた。この在任期間は、冷戦後期におけるソ連圏との継続的な対応や、欧米間の外交調整を含んでいた。

貴族院と晩年

世襲貴族として長年にわたり貴族院に席を置き、閣僚として前線を離れた後も公的な存在感を保ち続けた。彼はハロルド・マクミランおよびサー・アレック・ダグラス=ヒュームの両内閣の最後の生存者でもあり、戦後世代の英国閣僚と直接つながる人物だった。キャリントンは2018年7月9日、99歳で死去した。

評価

キャリントンは、安定した実務的な政治姿勢、責任に関する憲法上の慣行を受け入れる姿勢、そして数十年にわたる防衛・外交政策への貢献で記憶されている。1982年の辞任は、閣僚の説明責任を論じる際に今も頻繁に引用される例である。また、1980年代半ばのNATO運営をまとめた役割や、公的生活での長い奉仕についても、論者や歴史家によって指摘されている。

参考文脈

  • 党派や国内での役割については、保守党の政治家に関する人物紹介を参照。
  • 戦後政権の文脈については、英国の内閣に関する資料が役立つ。
  • 略歴では、彼の生涯、歴任した職務、そして1982年の辞任の経緯がまとめられている。20世紀英国の有力な政治家に関する一般的な参考資料も参照されたい。