教皇カリクストゥス2世(ギー・ド・ブルゴーニュ)
1119年から1124年まで在位し、ヴォルムス協約(1122年)を仲介して叙任権闘争の長期化を収束させ、司教任命をめぐる教皇権を再確認した教皇。
概要
教皇カリクストゥス2世(Calixtus または Calistus II とも綴られる。出生名ギー・ド・ブルゴーニュ)は、1119年2月1日の選出から1124年12月13日の死去まで、ローマ・カトリック教会を率いた。彼は、教皇権と世俗君主のあいだで続いていた司教任命をめぐる長い対立をまとめ上げたことで最もよく知られており、この争いはしばしば叙任権闘争として要約される。
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2 画像出自と選出
ギーはブルゴーニュ公家の一員で、ブルゴーニュ伯ウィリアム1世の第四子であった。貴族的な出自と教会での経歴をあわせ持ち、その高位への昇進時には、聖職者と貴族の利害をつなぐことのできる人物と見なされていた。前任教皇の動揺に満ちた在位の後に教皇となり、教皇庁が霊的指導力だけでなく外交的手腕も必要としていた時期に、教皇に選出された。
教皇在位とヴォルムス協約
カリクストゥス2世の教皇在位は、叙任をめぐる長期化した争いを終わらせる努力に大きく左右された。1122年、教皇庁と神聖ローマ皇帝の代表者たちはヴォルムス協約に合意し、司教の選出と叙任における教会権力と世俗権力の役割を切り分ける内容が明確にされた。この協約は、霊的な象徴を伴う世俗叙任を制限する一方で、支配者の一定の世俗的権利を認めたもので、中世の教会と国家の関係における転換点と広く考えられている。
政策、統治、関係
ヴォルムス協約にとどまらず、カリクストゥス2世は、派閥対立が続いた数年間ののちに秩序を回復することにも努めた。彼は、11世紀と12世紀に始まった教会改革、すなわち聖職者の独身制の徹底とシモニアの根絶を目指す動きを確認し、また、ヨーロッパ各地の宮廷で教皇特権と法的地位を確保しようとした。彼の外交は、司教団の統治を安定させるために、皇帝、諸侯、改革派との交渉を伴っていた。
遺産と特記事項
カリクストゥス2世は1124年12月13日に死去した。彼の名と行動は、しばしば叙任権闘争の収束と、司教任命に関する教皇手続きの確立と結びつけられる。彼の選出は教皇ゲラシウス2世の死後に行われ、歴史家は一般に、1122年のカリクストゥス2世の成果を、教皇と皇帝のあからさまな武力衝突を減らしつつ、教会の重要な霊的特権を維持した実際的な妥協と見なしている。
- 出生名:ギー・ド・ブルゴーニュ。教皇名:カリクストゥス2世、Calixtus II、Calistus II。
- 在位:1119年–1124年。死去:1124年12月13日。
- 主な業績:ヴォルムス協約(1122年)の合意により、司教への世俗叙任を制限したこと。
著者
AlegsaOnline.com 教皇カリクストゥス2世(ギー・ド・ブルゴーニュ) Leandro Alegsa
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