Anthony John "Tony" Abbott(1957年11月4日生まれ)は、オーストラリアの政治家で、2013年9月から2015年9月まで2年弱、オーストラリアの首相を務めた。2009年12月1日にマルコム・ターンブルの後任として自由党党首となり、2013年の連立の勝利により首相に就任した。2015年9月の党首投票でターンブルに敗れ、党首および首相の座を退いた。2019年の選挙では選挙区を失い、連邦議会を離れた。
アボットは、イギリス・ロンドンで、オランダ人の父とウェールズ人の母との間に生まれた。アボットの父親はニューカッスル・アポン・タインで生まれ、第二次世界大戦中にオーストラリアに移住し、オーストラリアに帰化したことは未確認である。Abbott氏はオーストラリアのシドニーで育ち、ローマ・カトリック教徒である。シドニー大学で経済学と法律を学んだ後、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で政治と哲学の修士課程を修了した。オーストラリアに戻ると、マンリーにあるセント・パトリックス神学校に入学し、司祭としての訓練を開始した。1990年から1993年まで、野党党首であったジョン・ヒューソン博士の報道官兼顧問として働く。その後、Australians for a Constitutional Monarchyのエグゼクティブ・ディレクターを務める。1994年、マイケル・マッケラーの辞任に伴う補欠選挙でワリンガ郡選出の連邦議会議員に当選した。
政治
1998 年、John Howard 首相が Abbott を雇用サービス担当大臣に任命し、2001 年には雇用・職場関係・小 企業担当大臣に昇格させた。2003年には保健・高齢化担当大臣となり、連邦議会下院の党首となった。2007年のハワード政権の敗北後は、家族・地域サービス・先住民問題担当の影の大臣を務めた。2009年11月26日、気候変動に関する自由党の政策に抗議し、辞任した。その後、2009年12月1日に行われた自由党党首選挙で、わずか1票差でマルコム・ターンブル党首を破った。