Anthony John "Tony" Abbott(1957年11月4日生まれ)は、オーストラリアの政治家で、2013年9月から2015年9月まで2年弱、オーストラリアの首相を務めた。2009年12月1日にマルコム・ターンブルの後任として自由党党首となり、2013年の連立の勝利により首相に就任した。2015年9月の党首投票でターンブルに敗れ、党首および首相の座を退いた。2019年の選挙では選挙区を失い、連邦議会を離れた。

生い立ちと経歴(概説)

シドニー出身。公立・私立の学校を経て大学で学んだのち、1994年の補欠選挙で下院に初当選し、以後2019年まで連邦議員(選挙区はワリンガ)を務めた。ジョン・ハワード政権下では閣僚として雇用・労働関係や保健・高齢者政策などのポートフォリオを担当し、国政経験を積んだ。

首相としての主な政策と出来事

  • 気候・環境政策:在任中に前政権が導入した炭素価格制度(いわゆる「炭素税」)の撤廃を進めた。これが与野党・世論の大きな争点となった。
  • 移民・国境対策:不法入国を図る船舶対策として「Operation Sovereign Borders(主権の国境作戦)」を実施し、密航阻止と船員の送還を強化した。船の到着数は同措置後に大幅に減少したと報告された。
  • 経済・財政:自由市場寄りの経済政策を掲げ、規制緩和や企業支援、財政健全化を訴えた。だが歳出削減や予算の調整を巡って内外で議論を呼んだ。
  • 労働・社会政策:労働市場改革や家族・育児支援などを政策課題としたが、医療・教育分野の政策については批判も多かった。
  • 王政および価値観:伝統的な保守主義やカトリック的価値観を強く打ち出し、同性婚や社会政策に関しては保守的立場を取った。

党内対立と失脚

自由党内では党首としての方向性を巡り党内対立が続き、2015年9月の党首投票でマルコム・ターンブルに敗北して党首および首相の職を退いた。その後は下野してバックベンチ議員として活動したが、政治的影響力は以前ほど大きくはなかった。

2019年の選挙とその後

2019年の総選挙では、従来安全地盤と見なされてきた自分の選挙区を独立系候補に僅差で敗れて議席を失い、国政から退いた。退任後は執筆や講演活動、メディアでの発言などを通じて公的な場での活動を続けている。

評価と論争

  • 支持者からは国境管理の強化や経済政策の方向性を評価される一方、批判者からは気候変動対策の後退や社会政策の保守性、発言・態度を巡る論争が指摘された。
  • 在任中の決定や党内運営、メッセージングの是非は現在も学術的・政治的に活発に議論されており、オーストラリア政治の近年史における重要人物の一人と見なされている。

(本稿は主要な経歴と政策、党内の動きおよび2019年の選挙結果を概説したものである。)