Thomas Seymour, 1st Baron Seymour of Sudeley, KG (c. 1508–20 March 1549) は、イングランド王ヘンリー8世の第3夫人であるジェーン・シーモアの弟であり、若き王エドワード6の叔父にあたる人物である。ヘンリー8世の最終妻であるキャサリン・パーの4番目の夫としても知られる。生涯を通じて、宮廷人・海軍司令官として活動し、1547年にサドリー(Sudeley)の男爵に叙されたが、その後の権力闘争とスキャンダルにより1549年に処刑された。
トーマスは、ジョン・シーモア卿とマーガレット・ウェントワースの息子として生まれ、ウィルトシャーのウルフホールで育った。兄弟には長兄のエドワード・シーモア(後のサマセット公・摂政)、および姉妹のエリザベス・シーモア、ジェーン・シーモアらがいた。若い頃から王室の近臣として仕え、王室内での立場を利用して軍事や海上任務に関与した。
ヘンリー8世の死後、トーマスは1547年にキャサリン・パーと結婚し、これにより王族や宮廷との近しい関係をさらに強めた。当時キャサリンは未婚の王女(後の女王)であるエリザベスを屋敷に迎えており、記録や伝承ではトーマスが若いエリザベスに対して不適切な接触や求婚めいた行為をしたと伝えられている。この出来事は後にトーマスに不利に働き、彼の評判を損なう一因となった。
一方で、トーマスは実弟であり当時実権を握っていたエドワード・シーモア(摂政サマセット公)と政治的に対立した。トーマスは自らの権力基盤を拡大するべく、若い国王エドワード6世の直接的な影響力を得ようと画策したとされる。特に、王の監護権や近侍の地位を巡る暗闘、夜間に王の寝所に立ち入ろうとしたといった行為が、彼を反逆の疑いへと導いた。
これらの行動は1548–1549年にかけて緊張を高め、1549年初めにトーマスは陰謀と反逆の容疑で拘束された。議論の末に裁判で有罪とされ、1549年3月20日に処刑された。処刑は当時の政治情勢と宮廷内の権力闘争の激しさを反映するものであり、トーマスの死はシーモア家の運命にも大きな影響を与えた。
史料や後世の論評は、トーマス・シーモアを野心的で魅力的だが自己中心的な人物として描くことが多い。彼の行動は、若い王権の不安定さと摂政体制下の権力闘争を象徴するものと見なされている。一方で、彼が果たした海軍や宮廷での職務、またサドリー男爵としての地位は、当時の上流貴族が宮廷政治と密接に結びついていたことを示している。
重要な年表(概略):
- c.1508:生誕(推定)
- 1547:サドリーの男爵に叙され、ヘンリー8世没後にキャサリン・パーと結婚
- 1548:キャサリン・パーが産褥熱で没し、トーマスの立場に変化が生じる
- 1549年初:王権を巡る行動が問題視され、拘束される
- 1549年3月20日:処刑
評価としては、トーマス・シーモアの人生は栄達と没落が激しく交錯した典型例であり、ティューダー朝中期の宮廷政治の複雑さと危うさを示す人物像として歴史家に注目され続けている。

