ビザンティン美術とは(5世紀〜1453年)|起源・特徴(イコン・教会建築)と影響
ビザンティン美術の起源から1453年までの歴史、イコンや教会建築の特徴とブルガリア・ロシアなどへの影響を図解でわかりやすく解説。
ビザンチン美術とは、5世紀頃から1453年のコンスタンティノープル陥落までの東ローマ帝国のキリスト教ギリシャ美術のこと。(この時期のローマ帝国はビザンチン帝国と呼ばれています)。
しかし、この言葉は、ビザンチン帝国と文化を共有していた国々の美術品を指すこともあります。ブルガリア、セルビア、ロシアなどがそれにあたります。また、西ヨーロッパの文化圏に属していても、ヴェネツィア共和国やシチリア王国なども含めることができます。オスマン帝国に住んでいたバルカンやアナトリアのキリスト教徒が制作した芸術は、しばしば "ポスト・ビザンチン "と呼ばれます。ビザンチン帝国で始まった伝統、特にイコン画や教会建築などは、ギリシャやロシアなどの東方正教会の国々で現在も受け継がれています。
起源と背景
ビザンチン美術は古代ローマの遺産、東地中海地域のギリシャ文化、キリスト教神学、さらに近隣のシリア・エジプトなどの影響が混じり合って成立しました。4世紀にコンスタンティノープル(現イスタンブール)が帝国の首都となると、とくに宗教的建築と聖像制作が国家的に重視され、独自の表現が発展しました。
主な特徴
- 宗教性と図像学的規範:表現は神の威厳や超越性を強調する目的で形式化され、人物は正面性や規定されたポーズで示されます。物語性よりも象徴性が重視されます。
- 金背景とモザイクの豪奢さ:教会内のモザイクでは金色のテッセラ(小石・ガラス片)が多用され、光の反射が神的な世界を表現します。
- 平面的・装飾的表現:遠近法による写実性よりも輪郭の明瞭さ、装飾的なパターン、階層的な大きさ(重要人物を大きく描く)が重視されます。
- 色と象徴:色は象徴的に使われます(例:青は天、紫は皇帝や聖母の尊厳など)。
- 機能性:美術作品は教義の教育、礼拝の補助、聖遺物の尊崇など実用的な役割を持ちます。
技法と素材
- モザイク:ガラスや金箔貼りのテッセラで図像を組成。光と色の変化で神秘性を演出します。
- イコン(板絵):下地にテンペラ(卵黄と顔料)を用いることが多く、金箔を背景に貼る技法が一般的です。初期にはエンクオスティック(蝋画)などが用いられた例もあります。
- フレスコや漆喰画:教会内面の装飾に用いられますが、モザイクほど保存されていないことが多いです。
- 宝飾と金工:聖遺物箱、十字架、聖杯などには金銀や宝石が使われ、細密な金属彫刻が見られます。
建築の特徴
ビザンチン建築は中央集権的な空間構成とドームの使用が特徴です。代表的なのは大ドームを中核に据えた中央型プランで、半球状ドームを四隅の間に架けるためにペンディンティブ(pendentive)を発展させました。これは内部空間を広く、連続的な光の効果を生み出す設計です。
代表例としては、コンスタンティノープルのハギア・ソフィア(アヤソフィア)があり、その大規模なドームと内部のモザイク装飾はビザンチン建築の典型とされます。
イコンと宗教的役割
イコンは単なる絵画ではなく、礼拝・祈祷において信仰の媒介と見なされます。8〜9世紀のイコノクラスム(聖像破壊運動)では、聖像の使用をめぐる激しい論争が起こり、多くのイコンが破壊されました。843年の「正教会の勝利(聖像崇敬の回復)」後、イコン制作と崇敬は再び普及し、その様式は厳格な伝統として確立されました。
時代区分と変遷
- 初期ビザンチン(4〜7世紀):古典古代の遺産を強く引き継ぎ、モザイク・初期聖像が発展。
- 中期(8〜12世紀):イコノクラスムの影響を受けつつ、様式の抽象化と規範化が進む。
- 後期(13〜15世紀、パレオロゴス期):一部で古典的な自然主義が復活し、表現の多様化(細密描写や感情表現の増加)が見られるものの、総じて儀礼的・象徴的な伝統は維持されました。
影響と継承
ビザンチン美術の伝統は東方正教圏で強く受け継がれ、ロシア正教のイコンや教会建築、バルカン諸国の壁画などに直接結びつきます。また、ヴェネツィアやシチリアなど地中海西部にも影響を与え、西ヨーロッパの美術や王侯の礼拝空間にもビザンチン的要素が取り入れられました。1453年以降も職人や学者の移動によって技術と様式は周辺地域へ広がり、「ポスト・ビザンチン」美術として継続しました。
主な遺例と地域
- コンスタンティノープル(イスタンブール)— ハギア・ソフィアのモザイクと建築
- ラヴェンナ(イタリア)— サン・ヴィターレなどの初期モザイク群(西ローマ圏だがビザンチン美術の重要事例)
- モスクワ・キエフ(ルーシ)— ロシア正教のイコンと教会建築
- バルカン半島・ギリシャ各地— 壁画、モザイク、イコンの類作
- ヴェネツィア(サン・マルコ聖堂)— ビザンチンの影響を受けた装飾
保存と研究のポイント
モザイクや金箔などの材料は保存状態によっては非常に良好に残る一方、フレスコや木製イコンは損耗を受けやすく、イコノクラスムや戦争、自然劣化による喪失が多くあります。美術史では図像学的研究、技法解析、年代学(放射性炭素測定など)を組み合わせて研究が進められています。
まとめ
ビザンチン美術は宗教的機能と象徴性を重視した独自の美学を確立し、長期間にわたって東方正教世界だけでなく地中海全域に深い影響を与えました。その形式美、光の使い方、イコンの厳格な伝統はいまも多くの場で継承・研究されています。

アヤソフィアのキリストのイコン
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質問と回答
Q:ビザンティン美術とは何ですか?
A: ビザンティン美術とは、5世紀頃に東ローマ帝国で誕生し、1453年のコンスタンティノープル陥落まで流行したキリスト教ギリシャ美術の一種です。
Q: ビザンティン美術に分類される他の地域の美術は何ですか?
A: ビザンティン美術とは、東ローマ帝国と文化を共有した国々の美術を指すこともあり、ブルガリア、セルビア、ルス、そして西ヨーロッパ文化圏に属していたヴェネツィア共和国やシチリア王国も含まれます。
Q:オスマン帝国に住んでいたバルカンやアナトリアのキリスト教徒が制作した芸術を表す言葉は何でしょうか?
A:オスマン帝国に住んでいたバルカンやアナトリアのキリスト教徒が生み出した芸術は、"ポスト・ビザンチン "と呼ばれています。
Q: ビザンティン帝国に始まった伝統の中で、今でも一部の東方正教会国に残っているものはありますか?
A:イコン画や教会建築など、ビザンツ帝国に端を発する伝統は、ギリシャやロシアなど東方正教会の国々で今も受け継がれています。
Q:ビザンツ帝国とは、どのような時代を指すのでしょうか?
A:ビザンチン美術が生まれた時代をビザンチン帝国と呼んでいます。
Q: ビザンティン美術はいつごろから普及したのですか?
A: ビザンティン美術は、5世紀頃、東ローマ帝国で普及しました。
Q: ビザンティン美術が衰退したのはいつですか?
A: ビザンティン美術の衰退は、1453年にコンスタンティノープルが陥落したことと重なります。
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