コミンフォルム(Communist Information Bureau の略)は、第二次世界大戦後の1947年に設立され、選ばれたヨーロッパの共産主義 政党を調整するための機関だった。表向きは協議と思想的一致の場を掲げたが、実際にはソ連がヨーロッパの共産主義運動を指導し、統制するうえでも役立った。

背景と目的

1945年以後、東欧や西欧の一部では共産党の影響力が増したが、戦時中の経験や政治目標は一様ではなかった。ソ連指導部は、とくに冷戦の始まりとともに、より緊密な国際的方針を求めた。そのためコミンフォルムは、承認された政策を広め、モスクワへの忠誠を促し、ソ連が西側からの政治的・経済的圧力とみなしたものに対抗する目的で設けられた。

運営

この組織は複数の共産党代表者と会合したが、現代の国際団体のような広範な加盟組織ではなかった。本部はブカレストに置かれ、主な手段の一つは宣伝だった。機関誌 For a Lasting Peace, for a People's Democracy! を発行し、公式見解を広めるとともに、ソ連の路線からの逸脱を批判した。

  • 共産党間の調整を促進した
  • 党の戦略に対するソ連の影響力を強めた
  • 思想的指導の伝達経路として機能した
  • 冷戦初期における同調の強制を助けた

政治的役割と対立

コミンフォルムは、1948年のソ連とユーゴスラビアの分裂後にとくに重要になった。ユーゴスラビアは組織から追放され、これが協力のためだけでなく、規律づけや排除にも用いられうることが示された。実際、この組織はソ連と他の共産党との非対称な関係を反映しており、多くの党はソ連の支援または圧力に依存していた。

解散と遺産

コミンフォルムは、ヨシフ・スターリンの死後に進んだ脱スターリン化の時期である1956年に解散した。その時点で、組織は当初の機能の多くを終えていた。今日では、初期冷戦における国際共産主義運動に対するソ連の統制を象徴する存在として、また、戦前により大規模な世界的共産主義組織であったコミンテルンとの対照として重要視されている。