コモンウェルス(イングランド共和国)1649–1660:共和制とクロムウェルの時代
イギリス連邦は、1649年から1660年にかけて、まずイングランドを、次いでアイルランドとスコットランドを支配した共和制政府である。1649年1月30日にチャールズ1世が処刑された後、1649年5月19日にランプ議会によってコモンウェルスが宣言された(An Act declaring England to a Commonwealth)。1653年から1659年までの政府は、正しくはProtectorateと呼ばれ、オリバー・クロムウェルが直接個人的に統治し、彼の死後は息子のリチャードがLord Protectorとして統治するという形をとった。しかし、1649年から1660年までの間の政府体制を指す言葉として、Commonwealth(連邦)という言葉が広く使われています。
背景と成立過程
この時代の成立は、17世紀前半の政治的・宗教的対立、特に王権と議会の争い(イングランド内戦)の帰結である。内戦で勝利した議会派とニュー・モデル軍は王政復古を拒み、チャールズ1世の処刑後に王制と上院(House of Lords)を廃止して、共和制を宣言した。議会内部でも意見対立があり、1653年にはオリバー・クロムウェルがランプ議会を解散させ、代わって選抜議会(通称Barebone's Parliament)を経て、最終的にプロテクター制度が成立した。
統治の仕組み(1649–1659)
共和制期の政府機構は一枚岩ではなく、時期により変化した。初期は議会中心のCouncil of State(国務評議会)が実務を担った。1653年のInstrument of Government(憲法的性格を持つ文書)により、オリバー・クロムウェルがLord Protectorとして行政の長に据えられ、議会・内閣・軍が複雑に絡み合う体制が出来上がった。裁判制度や自治体制度は大きく改変されなかったものの、軍の影響力が強い中央集権的な統治が行われた。
軍事行動と支配地域の拡大
連邦政府はアイルランドとスコットランドに対して軍事行動を行い、特にアイルランド遠征(1649–1653)は著名である。これにより広範な土地没収と植民が行われ、現地の社会構造に大きな影響を与えた。スコットランドでもチャールズ1世派の抵抗を鎮圧し、両地域はイングランドの支配下に組み込まれた。こうした征服は軍事力に基づく支配と植民政策を伴っていた。
宗教政策と社会変化
この時代は宗教的自由を巡る実験の時期でもあった。国教会(イングランド国教会)に対する権威は弱まり、ピューリタンや独立派、他のプロテスタント宗派が台頭した。しかしカトリックに対する寛容は限定的であり、アイルランドやその他の地域では宗教を口実にした弾圧や財産没収も行われた。社会面では、賭博や祝祭の規制、道徳規範を巡る取り締まりなどが強化され、地方社会の秩序維持に重点が置かれた。
経済・対外政策・植民地
海上覇権や商業政策も重視され、1651年の航行法(Navigation Acts)の施行などを通じて英蘭の海上貿易競争が激化した。植民地政策は軍事的・商業的利益と結び付き、北アメリカやカリブ海での植民活動は継続・拡大した。また、戦費調達や没収財産の処理などにより財政の再構築が試みられたが、戦後処理は社会的摩擦を残した。
崩壊と復古王政への道
オリバー・クロムウェルは1658年に没し、息子のリチャードが後を継いだが、リチャードは軍と政治勢力をまとめきれず、1659年にプロテクター制は事実上崩壊した。再度ランプ議会が復活した後、政治的混乱が続き、最終的に1660年にチャールズ2世が招還されて王政が復活した(王政復古)。
評価と遺産
コモンウェルス期は英国史上まれに見る実験的な時代であり、近代的な議会制や統治形態、軍と国家の関係、宗教多元化への試みなど多くの教訓を残した。短期間ではあったが国家主権や法の役割、議会と君主の関係を問い直す契機となり、以後の政治思想や制度形成に影響を与えた。
参考になるポイント: ランプ議会の宣言、Instrument of Governmentによるプロテクター制、アイルランド・スコットランドへの軍事介入、1650年代の海上政策(航行法)などが、この時代を理解する上での主要なトピックである。
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質問と回答
Q:イングランド連邦とは何ですか?
A:イングランド連邦とは、1649年から1660年までイングランドを統治していた共和制政府のことです。
Q: イギリス連邦はいつ宣言されたのですか?
A: 英連邦は1649年5月19日、ランプ議会によって宣言されました。
Q: 連邦が宣言されるきっかけとなった出来事は何ですか?
A: 1649年1月30日にチャールズ1世が処刑されたことが、連邦の宣言につながりました。
Q: 保護領とは何ですか?
A: 保護領とは、1653年から1659年にかけて、オリバー・クロムウェルとその息子リチャードが保護領主として直接個人統治する形をとった政府のことです。
Q: なぜコモンウェルスという用語が緩やかに使われているのですか?
A: 英連邦という言葉は、1649年から1660年までのイギリスの空白期間全体における政治体制を表すために、緩やかに使われているのです。
Q: 護民官時代には誰が統治していたのですか?
A: オリバー・クロムウェルとその息子リチャードが保護領時代に統治しました。
Q: 1653年から1659年にかけて、英連邦の政府はどのように形成されたのか?
A: 1653年から1659年にかけての政府は、オリバー・クロムウェルとその息子リチャードが護民官として直接個人的に統治する形をとりました。