1915年、ルース・セント・デニスとテッド・ショーンがカリフォルニア州ロサンゼルスに設立したダンスと関連する芸術の学校がデニショーン舞踊学校(Denishawn School of Dancing and Related Arts)です。創設者の二人は、東洋や民族舞踊に影響を受けた舞踊表現と、西洋の舞台芸術を融合させる教育方針を打ち出し、演出・衣裳・音楽・振付の総合的な訓練を行いました。
設立の背景と教育方針
ルース・セント・デニスは「異国趣味(エキゾティシズム)」を取り入れた舞踊表現で知られ、テッド・ショーンは男性ダンサーとしての身体表現や力強い舞踊を重視しました。デニショーンでは、社交ダンスやバレエに加え、アメリカ先住民やアフリカ、インドの舞踊など、さまざまな民族舞踊の要素を学ぶことで多様な表現力を育てるカリキュラムが組まれていました。また、劇場公演やツアーを通じて実践的な舞台経験を積ませることにも力を入れていました。
主な門下生とその後の影響
デニショーンは後のアメリカン・モダンダンスに大きな影響を与え、多くの著名な舞踊家を輩出しました。代表的な門下生には次のような人物がいます:
- マーサ・グラハム — 20世紀を代表するモダンダンサーであり、独自のテクニックと舞踊哲学でアメリカ舞踊を確立した。
- ドリス・ハンフリー — 「フォール・アンド・リカバリー(落下と回復)」の概念などでモダンダンスの理論と実践を発展させた。
- リリアン・パウエル — 舞踊と演技の両面で活躍し、舞台芸術に幅広く貢献した。
- チャールズ・ワイドマン — 振付家・教育者としてモダンダンスの発展に寄与した。
- ジャック・コール — 舞台や映画の振付において「ジャズ・ダンス」の基礎を作った人物の一人。
- 無声映画スターのルイーズ・ブルックス — 映画界での表現にも舞踊教育が影響を与えた例。
これらの門下生たちは、デニショーンでの学びを出発点として各地で教えや作品を広め、バレエや実験的なモダンダンスの発展に寄与しました。
活動の広がりと遺産
デニショーンのカンパニーは国内外で公演を行い、その劇的で装飾的な舞台美術と多様なレパートリーは観客の注目を集めました。やがて、デニショーンで培われた教えは、ニューヨークの教室や他の舞踊スタジオにも受け継がれ、たとえばカーネギーホール・スタジオのスタジオ61など、別の教育拠点に影響を与えました。
一方で、時代とともに舞踊の潮流や教育理念は変化し、デニショーンは1930年代初頭に活動を終えます(正式な解散は1931年頃)。テッド・ショーンはその後、ボストン近郊でリーダーシップを取りながら舞踊普及活動を続け、のちにJacobs Pillow(ジェイコブズ・ピロー:舞踊の祭典と教育の場)などの形成にも関与しました。
デニショーン舞踊学校の功績は、単に一つの流派を生んだにとどまらず、アメリカにおける舞踊の多様性と教育体系を拡げ、後進の振付家・ダンサーたちが新しい表現を模索する礎を築いた点にあります。ある関係者はこう書いている。
「デニショーンは時代の枠をこえる教育と舞台表現を通して、アメリカ近代舞踊の母体となった」
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