ウィリアム・フリッツ・アフリスWilliam Fritz Afflis、1929年6月27日 - 1991年11月10日)は、アメリカのプロレスラーアメフト選手である。ディック・ザ・ブルーザーのリングネームでよく知られていた。

プロレスラーになる前は、アメフトの選手で、1951年から1954年までNFLグリーンベイ・パッカーズでプレーしていた。

1991年11月10日、アフリスは内出血で死亡した。妻のルイーズによると、養子のジョン・カーニーと自宅で重量挙げをしていて、食道の血管を破裂させたという。

経歴の概略

アフリスはプロのアスリートとして二つの分野で活躍したことで知られる。若い頃にアメリカンフットボールで実績を残した後、1950年代半ばから本格的にプロレスに転向。リング上では荒々しく荒っぽいファイトスタイルと攻撃的なキャラクターで人気(あるいは嫌悪)を集め、"ディック・ザ・ブルーザー"の名で長年にわたり第一線で活動した。

アメフト時代

1951年から1954年にかけて、NFLのグリーンベイ・パッカーズでプレーした経歴がある。フットボールで培ったフィジカルとタフさは、後のプロレスにおける戦い方やリングでの存在感に直結した。選手としての経験は、プロレス転向後の売り込みやキャラクター作りにも生かされた。

プロレス時代

プロレスではハードヒットで荒々しいファイトスタイルを武器に、シングル・タッグを問わず多方面で活躍した。ローカルなプロモーションを拠点に北米各地を巡業し、観客を魅了する“乱闘(ブラウル)”系のレスリングを代表する存在となった。

  • リングネーム「ディック・ザ・ブルーザー」としてヒール(反則的・敵役)寄りのキャラクターを演じることが多かった。
  • 同時代の著名レスラーとタッグを組んでの試合や抗争を繰り広げ、地域タイトルやタッグタイトルを多数獲得した。
  • プロモーターとして地元を拠点に団体運営にも関わり、選手としてだけでなくプロレス界の裏方としても影響力を持った。

引退後・私生活

現役選手としての活動が薄まった後も、プロモーターや興行主としての顔を持ち、若い選手の起用や地域興行の運営に貢献した。私生活では妻のルイーズと共に家庭を築き、養子のジョン・カーニーを迎えていた。

死去と遺産

1991年11月10日に自宅での出来事により内出血で亡くなった。妻ルイーズの証言にあるように、養子と共に重量挙げをしていた際に食道の血管が破裂したという。死後もその荒々しいファイトスタイルやプロモーターとしての活動、地域興行への貢献は語り継がれ、プロレス史における存在感は色あせていない。

評価

ディック・ザ・ブルーザーは、野性味あふれるファイトスタイルと強烈なキャラクターで観客の印象に残るレスラーだった。複数の世代に渡ってファンを持ち、選手・プロモーター双方の立場からプロレス界に影響を残した人物として評価されている。