百科事典(Encyclopaedia, a Systematic Dictionary of Sciences, Arts, and Craftsは、1751年から1772年にかけてフランスで刊行された大著で、一般向けの百科事典である。正式なフランス語タイトルは Encyclopédie, ou dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers(百科事典、または科学・芸術・職業の理性的辞典)で、編集は主にドゥニ・ディドロとジャン=ル=ロンド・ダランベールが担った。数学や自然科学分野には当時の学会や学者らも寄稿しており、編集作業には各種学術機関や専門家の知見が反映されている。

特色と構成:このエンサイクロペディアは、多数の寄稿者による記事を集めたことで、従来の総合辞書や宗教中心の知識体系とは一線を画した。特に注目される点は、応用科学や手工業(〈arts et métiers〉)に関する技術的・実務的な記述を含めたことで、実際の職人技法や図版(製図)を多数掲載した点にある。この点で、当時としては珍しく知識の実用面を重視した百科事典となった。全体としては本文17巻と図版11巻の計28巻に及ぶ大部な刊行となり、図版は手工業や機械の詳しい図解を含んでいる。

啓蒙思想との関わり:エンサイクロペディアは、単なる知識の集成にとどまらず、啓蒙運動を代表する出版物としても知られる。多くの寄稿者は宗教的権威や専制的制度を批判し、理性や経験、科学的方法を重視する発想を広める役割を果たした。ドゥニ・ディドロによれば、エンサイクロペディアの目的は「人々の考え方を変えること」であり、その編集方針や記事の内容は社会的・政治的影響をもたらした。ヴォルテールやルソーら当時の思想家たちも、この計画に関与したり影響を与えたりしている(寄稿は匿名や筆名で行われることが多かったため、寄稿者の記録には不確定な面もある)。

刊行の経緯:エンサイクロペディアは、もともとエフライム・チェンバースの『サイクロペディア』(1728年)の翻訳・改訂として構想された。1743年にパリの出版社アンドレ・ル・ブルトンが英語からの翻訳を計画し、フランス在住のイギリス人ジョン・ミルズに作業を依頼したが、諸事情で計画は進まなかった。編集責任者の交代や紛争(編集方針や出版上の問題から出版社と翻訳者・編集者の間で対立が生じた)を経て、最終的にル・ブルトンはドゥニ・ディドロとジャン=ル=ロンド・ダランベールを編集者として雇うことになった。ディドロはその後約25年間にわたり編集に深く関与し、刊行完了まで指揮を執った。

寄稿者と編集の実際:寄稿者は科学者、哲学者、技術者、職人、法律家など多岐にわたり、記事の内容も哲学的論説から実践的な手順、詳細な機械図まで幅広い。編集方針には、記事間で相互参照を行う体系的な配列や、用語の標準化を目指す試みが含まれていた。また検閲や出版統制との衝突も生じ、問題あると見なされた記事は削除や修正、あるいは回避されることもあった。こうした制約の中で、編集者たちは表現を工夫して思想を伝えようとした。

影響と評価:エンサイクロペディアは当時の知識普及と市民的教育に大きな影響を与え、政治・社会思想の変化を促す一因ともなった。工芸技術や応用技術の図解によって職人の知識が体系化され、産業や技術の発展にも寄与したと評価される。出版は教会や当局からの監視や弾圧を受けることもあったが、結果的にヨーロッパ各地に啓蒙的な考え方を広め、後の近代思想や百科事典編纂のモデルにも影響を与えた。

遺産:エンサイクロペディアは単体の出版物としてだけでなく、近代的な百科事典の形式(分野横断的な体系化、学術と実用の融合、大規模共同執筆)を確立した点でも歴史的に重要である。今日でも研究対象として盛んに検討され、近代思想史や出版史、技術史を理解するうえで欠かせない資料となっている。