Euronymousという芸名で知られるØystein Aarseth(ノルウェー語:[ˈøystein ˈɔʂət]、1968年3月22日~1993年8月10日)は、ノルウェーのギタリストである。Euronymousは、初期のノルウェー・ブラックメタル・シーンの創設者であり、中心人物である。ノルウェーのブラックメタルバンド、メイヘムの共同設立者であり、1984年の結成から1993年に亡くなるまで、唯一の不動のメンバーであった。また、エクストリームメタルのレコードレーベル「Deathlike Silence Productions」とレコードショップ「Helvete」の創設者兼オーナーでもある。
Euronymousは悪魔崇拝者であり、極端な人間嫌いの発言で知られていた。彼は「ブラックメタル・インナーサークル」と呼ばれる過激なカルト的グループを率いていると称していた。
1993年8月、音楽仲間のヴァーグ・ヴィケルネスに殺害された。
経歴と初期の活動
Øystein Aarsethは1980年代初頭からノルウェーの地下音楽シーンで活動を始め、1984年に結成されたメイヘムの主要メンバーとして知られるようになった。ギタリストとしての彼のプレイは、初期ブラックメタルの冷たく鋭いトーンや不協和音を特徴づけ、シーン全体の音楽的方向性に大きな影響を与えた。
Helvete(ヘルヴェテ)とDeathlike Silence Productions
1990年代初頭、Euronymousはオスロにレコードショップ「Helvete」を開き、ここは単なる店舗を越え、地元バンドやファンが集まる交流拠点、思想や美学が形成される場となった。加えて、彼は自らのレーベルDeathlike Silence Productionsを通じて、ノルウェーと海外の初期ブラックメタル作品をリリースし、シーンの発展を支えた。
音楽的・美学的影響
- 楽曲やステージでの演出(いわゆる「コープスペイント」「逆十字」等のイメージ)は、ブラックメタルのヴィジュアル面を規定する一因となった。
- Euronymousは「ロウで冷たい」音作りや、不協和音を多用する作風で、後続バンドに強い影響を与えた。
- Helveteを中心に形成されたコミュニティは、メンバー間の協力や競争を通じてシーンを活性化させた。
論争と過激思想
Euronymousは自身を過激な反社会的思想の提唱者として位置づけ、しばしば挑発的な発言や行動で注目を集めた。彼が率いたとされる「ブラックメタル・インナーサークル」は、暴力や教会放火など過激な行為を肯定するような言説で語られることが多く、この時期にノルウェーでは複数の歴史的教会放火事件が発生した。これらの放火事件や暴力行為については、数名のシーン関係者が訴追・有罪となっているが、Euronymous自身の関与の程度については議論や証言に食い違いがある。
殺害事件と裁判
1993年8月10日、Euronymousは同じシーンのミュージシャンであるヴァーグ・ヴィケルネス(活動名:Count Grishnackh)に自宅で刺殺された。事件後、ヴァーグ・ヴィケルネスは逮捕され、1994年に殺人および一連の放火事件などで有罪判決を受け、ノルウェーの長期収監制度に基づき最長刑(当時の上限である21年)を言い渡された。
事件の動機については複数の説がある。個人的な確執、金銭トラブル、またはイデオロギーや名声をめぐる争いなどが挙げられてきたが、決定的な「単一の理由」は未だに論争の的である。さらに、事件の周辺には誇張や後付けの神話が多く、当時のメディア報道や関係者の証言には矛盾がある。
死後の評価と遺産
Euronymousの死はブラックメタル・シーンに深刻な影響を与え、ノイズと神話が混ざり合った文化的出来事として広く記憶されている。音楽的にはその影響力は大きく、以後の多くのバンドやミュージシャンが彼の作風や美学を参照している。
同時に、Euronymousとその周辺で起きた暴力や放火事件は、ブラックメタルのイメージに負の側面を刻みつけ、メディアや一般社会との対立を深めた。研究者や評論家は、当時の出来事をめぐる伝説と事実を分離し、音楽的・文化的背景を検証する作業を続けている。
選ばれた活動・ディスコグラフィ(概要)
- メイヘムの中心人物としての活動(1984年結成—1993年)
- Helveteの運営とコミュニティ形成
- Deathlike Silence Productionsを通じた初期ブラックメタル作品の流通支援
まとめ
Øystein "Euronymous" Aarsethは、初期ノルウェー・ブラックメタルの形成に決定的な役割を果たした人物であると同時に、その過激な言動と悲劇的な最期により、賛否両論を呼ぶ存在でもある。彼の音楽的遺産は現在も多くのミュージシャンに影響を与え続けているが、同時に当時の暴力や犯罪行為に関する議論は現在も続いており、歴史的な評価は多面的である。