フリードリヒ・ケルナーの日記は、第二次世界大戦中に書かれた日記である。著者のアウグスト・フリードリヒ・ケルナーは、マインツの裁判所で正義の検査官(司法行政の職)を務めていた。ケルナーはまた、1918年から1933年にかけてドイツ社会民主党(SPD)の政治活動にも関わっており、ヒトラーらナチ党によるSPD禁止ののちに一家でラウバッハへ移住している。
日記の作成と目的
1939年9月、ヒトラーがポーランド侵攻を命じ、欧州での全面戦争が始まったとき、ケルナーは極秘の日記を書き始めた。彼はこの日記をドイツ語で「Mein Widerstand」(私の反対、私の抵抗)と題し、当時目にした出来事、役所や街で聞いた噂、政府の宣伝や戦時の不正義に対する批判を克明に記録した。ケルナー自身は武力による抵抗を行ったわけではないが、文字による記録を「後世への証言」として残すことを自らの使命と考え、危険を承知で筆を進めている。
構成と特徴
日記は全10巻にわたり、総ページ数は861ページ、日付の入ったエントリーは676件にのぼる。本文だけでなく、当時の新聞の切り抜きや記事を添えており、収録されている切り抜きは500点以上に及ぶ。これらの新聞資料を併設することで、ケルナーの観察が単なる主観的な感想にとどまらず、当時の報道や世論を照らし合わせた史料的価値を持つ点が特徴である。
内容の中身(概略)
- 政府・軍部による情報操作や宣伝、それに対する庶民の反応。
- ユダヤ人や少数者に対する迫害・差別の兆候や、それに対する市民の無関心や恐怖。
- 戦時下の物資不足や生活の困窮、徴兵や検閲の実態。
- 自身の政治的良心に基づく批判と、民主主義の回復に向けた願い。
文体は率直で批判的、かつ日常生活の細部まで観察した記述が多く、当時のドイツ国内の民衆心理を知るうえで貴重な一次資料となっている。
保存と評価
ケルナーの日記は戦後も遺族らによって保存され、歴史研究者や教育関係者の間で高く評価されている。出自が行政官であり、またSPD出身の保守的ではない立場から書かれた記録であるため、第三帝国下での官庁内外の実情、一般市民の視点、当時のメディア状況などを多角的に伝える史料として重視されている。学術研究だけでなく、ホロコースト教育や市民的抵抗の事例研究にも活用されている。
翻訳と国際的な注目
ケルナーの日記はドイツ語の原本に基づいて編集・翻刻され、英訳も刊行されている。日記の英訳は2018年にケンブリッジ大学出版局から『My Opposition』というタイトルで出版され、英語圏でも広く読まれるようになった。この英訳は原文の注記や背景説明を付しており、国際的な読者に対してもケルナーの証言の重要性を伝えている。
こうした記録は、独裁と戦争のもとで個人がどのように事実を見、記録し、良心を保とうとしたかを示す重要な証言であり、現代における歴史認識や市民的責任の教育にとっても価値ある資料である。





