ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(J.M.W.ターナー):英国風景画の巨匠と代表作
J.M.W.ターナーの生涯と代表作を一挙紹介。光と色で英国風景画を革新した巨匠の名画、制作背景と印象派への影響をわかりやすく解説。
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner, London, Covent Garden, 1775年4月23日 - 1851年12月19日, Chelsea, London)は、イギリスの画家、芸術家で、光と色の表現を通じて風景画を革新した近代絵画の先駆者の一人です。大気や光の効果に対する鋭い観察と実験的な技法により、当時の伝統的な風景画の枠を超え、後の印象派などにも影響を与えました。
生い立ちと教育
父はかつらメーカー、母は精神的な病を抱えていたため、幼少期のターナーはブレントフォードにいる叔父のもとで育てられ、そこで絵を描き始めました。14歳でロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アートの学校に入学し、若くして才能を認められました。1790年にはアカデミーの展覧会に水彩画を出品して注目を集め、1802年にはロイヤル・アカデミーの会員に選ばれ、その後、遠近法の教授を務めるなど学術的な立場も得ました。
旅と影響
ターナーは若い頃からヨーロッパ各地を旅し、特にフランスやスイス、そして生涯を通じて幾度も訪れたイタリアやヴェネツィアで強い印象を受けました。パリのルーブル美術館にも足を運び、古典的な風景画の伝統(クロード・ロランやニコラ・プサンなど)から影響を受けつつも、次第に従来の写実にとどまらない、光や色彩、雰囲気を重視する独自の表現へと転換していきました。
作風と技法
ターナーの関心はしばしば自然現象—太陽光、嵐、雨、霧、海の荒れた力—に向けられ、これらをとおして光と大気の多様性を描き出しました。具象的な細部よりも、色面や筆触、光の瞬間的な変化を捉えることで、観る者に劇的な感覚や情緒を伝えます。こうした表現は、印象派が登場する数十年前にはすでにその萌芽を見せ、特にモネなど後の画家たちに影響を与えました。
技法的には水彩と油彩の両方で膨大な制作を行い、試行錯誤を重ねた実験的な処理(薄塗りや光を強調するための色彩処理、濃淡の対比など)を行いました。彼はスケッチ旅行で得た習作をもとに大作を構想することが多く、写生と想像を組み合わせた表現が特徴です。
代表作と主題
ターナーの代表作は海や航行、鉄道など当時の「新しい力」と自然の対比を描くものが多く、以下はよく知られる例です。
- The Fighting Temeraire(邦題例:「テメレール号最後の曳航」)— トラファルガーの戦いで活躍した帆船を、曳航されて解体場へ向かう情景で描いた作品。古い帆船と新しい蒸気船の対比が象徴的です(作品に込めたノスタルジアと技術革新の問題を示す)。
- Rain, Steam and Speed – The Great Western Railway(「雨、蒸気、スピード」)— 鉄道の疾走感と雨に濡れる大気の表現によって、近代技術と自然の関係を描いた有名作。
- Snow Storm – Steam-Boat off a Harbour's Mouth(吹雪の蒸気船)— 嵐の海原での蒸気船の姿を激しい筆致で描写し、自然の猛威を体感させます(嵐の中で自身をマストに縛って観察したという逸話が伝わっています)。
- Slave Ship(奴隷船)— 公式タイトルは「Slavers Throwing overboard the Dead and Dying — Typhoon coming on」。奴隷商人が病人や死にかけの人々を海に投げ捨てる残酷な場面を、血の赤や荒天の光で描き、倫理的・政治的な主題を強く訴えかけます(1840年)。
- その他、「HMS Minotaur の難破船」(1810年)や「ベスビオ火山の噴火」(1817年)など、劇的な自然の場面を題材にした作品も多く残されています。
私生活と晩年、遺産
ターナーは私生活では公的に結婚せず、愛人サラ・ダンビーとの間に2人の子どもをもうけたとされています。多くの期間を父とともに暮らし、父は1829年に亡くなりました。年を重ねるにつれて気難しさや孤独を深め、晩年は外界から距離を置くことが多くなりました。
1851年12月19日にチェルシーで死去。遺骸はセント・ポール大聖堂に埋葬され、画家ジョシュア・レイノルズの隣に置かれました。晩年の作品については当時から賛否が分かれ、「写実性が不足している」「雑な筆致だ」と批判する声もありましたが、今日ではその先駆的な視点と技術が高く評価されています。
死後、ターナーは約300点の油彩と約2万点の水彩・素描を国家に遺しました。これらの遺産はイギリスの美術コレクションの基盤となり、後の世代の研究・鑑賞に大きく寄与しています。
影響と評価
ターナーは当時の風景画の枠を押し広げ、光と気象を通じて感情や時間の経過を表現する手法を確立しました。彼の作品は後の印象派や表現主義の画家たちに影響を与え、現在でも美術史上の重要な位置を占めています。多作でありながら実験的な作品群は、今日の観衆にもなお新鮮な驚きを与え続けています。
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HMSミノタウロス号の難破船、油彩・キャンバス、1810年完成
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ベスビオ火山の噴火(1817年)
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奴隷船(Slave Ship) — 奴隷商人が病死者や瀕死の人々を海に投げ捨てる残酷な光景を描いた作品(1840年)
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雨、蒸気、スピード — グレート・ウェスタン鉄道(1844年)

ターナーが描いた自身の絵

吹雪-港の口を離れて浅い水の中で信号を送り、鉛で行く蒸気船、 1842年に描かれています。

闘うテメレール号が最後の停泊地に引っ張られて解体される 1839年
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