ジョン・カボットイタリア語Giovanni Caboto、1450年 - 1499年)は、イタリアの航海士探検家である。1497年、イギリスからマシュー号で西に向かい、アジアと思われる地域に上陸した。実は彼は北アメリカ、現在のカナダ東部に来ており、ヘンリー7に領有権を主張した。彼が上陸したのは、現在のニューファンドランドのボナビスタである。カナダの最東端にある町である。1499年にイングランドで死去。



生涯の概略

ジョン・カボット(イタリア名:Giovanni Caboto)は、約1450年ごろにイタリア(出自についてはジェノヴァ説など諸説あり)に生まれたとされる。若い頃から海運や交易に携わり、後にヴェネツィア市民となった記録があるとされる。晩年はイングランドに移住し、ヘンリー7世の庇護のもとで西方航路の探検を志した。

1497年の航海(最初の航海)

1496年にヘンリー7世から航海のための特許(letters patent)を得た後、カボットは1497年に英国の港を出航し、マシュー号(Matthew)で西方へ向かった。彼は東アジアへの西回り航路を探していたが、実際には北アメリカの沿岸に到達した。上陸地として伝えられるのは現在のニューファンドランド島にあるボナビスタ(Bonavista)付近で、そこでイングランド王のために領有を主張した。

第二の航海と失踪

カボットは最初の航海の成功を受け、翌年以降により大規模な再航海を行った。1498年(あるいは1499年とも)に複数の船団を率いて出航したとされるが、その後の消息は不明であり、船団は大西洋で遭難した可能性が高い。失踪・死亡の正確な状況や年については史料の不足から諸説ある。

業績と影響

  • 領有権主張:カボットの航海はイングランドによる北アメリカ大陸への領有主張の根拠となった。
  • 漁業の発展:彼の航海以後、北大西洋の豊かなタラ漁場がヨーロッパに知られるようになり、後の漁業活動や植民地化につながった。
  • 探検の先駆:直ちに大規模な植民地化が進んだわけではないが、16世紀以降の英仏間の北アメリカ領有競争に影響を与えた。

史料と論争点

  • カボットの出自(ジェノヴァ生まれ、あるいはイタリア別地域)や本名の表記(Giovanni Caboto、Zuan Caboto、John Cabot など)は史料により異なる。
  • 1497年の具体的な上陸地点(ボナビスタの他にカナダ東岸の別地点が候補に挙がる)や上陸日にも複数の説がある。
  • 失踪の年代(1498年説と1499年説)も確定していない。

記念と評価

カボットはイギリスやカナダにおいて重要な探検家として記念されている。ブリストルのカボット・タワーやカナダ各地の記念碑、500周年の記念行事(1997年)などがある。歴史学的には、彼の航海はヨーロッパによる北大西洋の資源利用と植民地的関心の始まりを象徴する出来事として評価される。

参考となる視点

カボットの航海は「新大陸発見」という単純な枠組みだけで語られがちだが、当時の航海技術、王権の動機、国際的な競争(スペイン・ポルトガルとの関係)、先住民との接触問題など、多面的に理解する必要がある。史料は限られるため、現在も研究と議論が続いている。