ジョン・ロスブルー師(1714頃-1777)(ロスバラ、ロスバーグとも表記)は、ニュージャージー大学(現プリンストン大学)を卒業した人物である。長老派の牧師に叙階された。1776年にペンシルベニア州第3ノーサンプトン郡民兵を組織し指揮を執った。その後、中隊のチャップレンの任に就いた。第2次トレントンの戦いとして知られるアサンピンク・クリークの戦いで戦死した。ロスブルーは、戦死した最初の米国人チャプレンとなった。
経歴と背景
生年はおおむね1714年ごろとされるが、出自や幼少期については史料に不確かな点が残る。若年期に学問に励み、当時の名門校であるニュージャージー大学(現プリンストン大学)を修了したことが知られている。卒業後は長老派の牧師として教会に仕え、地域社会で宗教的・道徳的指導に当たった。
軍での役割と終焉
独立戦争の勃発後、ロスブルーは民兵の組織と指揮に携わることになる。1776年にはペンシルベニア州第3ノーサンプトン郡民兵を結成して隊を率い、その後中隊のチャップレンの任に就いた。チャップレン(軍の牧師)は兵士たちの士気と精神的支えに重要な役割を果たし、説教や祈祷、傷病兵の慰め、葬儀などを担当した。
ロスブルーは、第2次トレントンの戦い(アサンピンク・クリークの戦い、1777年1月2日)で戦死したと伝えられている。戦場での死は、彼が戦闘に直接参加していたのか、あるいは戦闘の混乱の中で被弾したのかなどの細部は史料により異なるが、いずれにせよ独立戦争で戦死した最初の米国人チャプレンとして記憶されている。
意義と記憶
- ロスブルーの死は、軍内における宗教的支柱(チャップレン)の危険と貢献を象徴する出来事である。
- 彼のような牧師出身の軍人は、当時のコミュニティにおいて軍事的・精神的なリーダーとして重要な存在だった。
- 歴史家や地域の記録は、ロスブルーをアメリカ独立戦争における初期の殉教者の一人として取り上げており、地域史や軍史の文脈でしばしば言及される。
なお、ロスブルーに関する詳細な生涯や最期の状況については史料が断片的で、研究者や地域史家の間でも議論がある。より詳しい情報を得るには、当時の教会記録、民兵の行動記録、戦闘報告など一次史料の照合が有益である。

