金九(キムグ、1876年8月29日-1949年6月26日)は、韓国の独立運動家であり政治家。大韓民国臨時政府の大統領に3度就任した。第6代、第12代、第13代(最終)大統領である。日本帝国主義に対抗する朝鮮独立運動の指導者であり、統一運動家でもあった。金氏は白凡(ペクボム)とも呼ばれた。これは彼のペンネームである。彼は多くの韓国人に尊敬されている人物である。1921年から1927年まで総理大臣、1923年から1924年まで大韓民国臨時政府内務大臣。

生い立ちと初期の活動

金九は現在の朝鮮半島北西部、黄海道海州(現在の北朝鮮・海州)で生まれました。若い頃から民族意識が強く、日本による朝鮮併合(1910年)に反発して独立運動に身を投じました。国内での義兵運動や抗日活動に参加した後、1900年代後半から1910年代にかけては、国外に出て活動を続ける道を選びました。

臨時政府での役割

1919年の三・一独立運動を契機に設立された大韓民国臨時政府において、金九は中心的な指導者の一人となりました。臨時政府では内務や総理など要職を歴任し、1921年から1927年にかけては総理大臣として組織の再建や資金調達、独立軍の結成・支援に努めました。複数回にわたる大統領就任(第6代、第12代、第13代)を通じて、対外的な連携や国内の統一を図る努力を続けました。

対外活動と統一志向

中国や中華民国の政府、その他の国際勢力との連携を模索しつつ、金九は武力と外交の両面で日本の支配に対抗しました。また、彼は韓民族の統一を強く求め、分断を回避して一つの主権国家を復活させることを生涯の目標としました。第二次世界大戦期には、臨時政府と在外独立軍(後の韓国光復軍など)との協力に力を入れ、抗日闘争の継続を支えました。

帰国と晩年、暗殺

1945年の日本敗戦・朝鮮解放後、金九は帰国して新たな国家建設に関与しました。しかし、冷戦の影響で半島は南北に分断され、国際的な力学のなかで統一をめぐる道は困難を極めました。金九は単独の南政府樹立や外勢の介入に反対し、民族主義的立場から統一を訴え続けました。1949年6月26日、ソウルで暗殺され、暗殺者は安斗煕(アン・ドゥヒ)であるとされ、多くの議論と憶測を残しました。

業績と遺産

  • 金九は臨時政府の指導者として、独立運動の組織化・国際的広報・在外義勇軍の支援などに尽力しました。
  • そのペンネームである白凡(ペクボム)の名で数多くの演説や文章を残し、自叙伝や日記(「白凡日記」等)は当時の史料として重要視されています。
  • 戦後も分断に抗して統一を呼びかけた点から、韓国では国民的英雄として高い評価を受け、記念館や公園(例:백범기념관=白凡記念館、孝昌公園にある記念墓など)が設けられています。
  • しかし、政治的立場や暗殺の背景については賛否や諸説があり、近現代韓国史の重要な論点の一つとなっています。

評価

金九は反植民地主義・民族主義の象徴的存在であり、韓国独立運動の中心人物の一人として広く記憶されています。一方で、当時の政治的対立や国際情勢の複雑さから、その行動や政策については学術的・政治的に議論が続いています。彼の生涯と業績は、近代韓国史を理解するうえで欠かせない要素です。