概要
国王一座は、16世紀末から17世紀初頭にかけてイングランドで最も重要な職業劇団の一つだった。ルネサンス演劇を支えた庇護制度のもとで成立し、王室の後援を受けながら、宮廷でも一般向けの公演でも活躍した。ウィリアム・シェイクスピアは生涯の大半をこの劇団と結びつけて過ごし、その俳優陣と舞台のために戯曲を書いた。
起源と発展
エリザベス1世の治世には、この一座は貴族の庇護者の名を取ってロード・チェンバレン一座として知られていた。1603年にジェームズ1世が即位すると、劇団は王室の後援を受け、国王一座と改称した。この変更により名声が高まり、王室の邸宅での上演機会と、ロンドンの市民向け劇場での安定した公演の両方に継続してアクセスできるようになった。
組織、構成員、演目
当時の多くの劇団と同様、国王一座も主要出資者、雇われ俳優、徒弟の組み合わせで組織されていた。所属メンバーには、演技の中心を担う俳優や、事業面の責任も負う劇場経営者が含まれていた。レパートリーはシェイクスピアと同時代の他の劇作家の戯曲を中心に構成され、劇団の俳優陣の持ち味に合わせて上演された。
著名な構成員
- ウィリアム・シェイクスピア — 劇作家、俳優、出資者として劇団と深く結びついており、多くの作品が彼らの舞台のために書かれた。シェイクスピアはしばしばこの劇団で最も有名な関係者として挙げられる。
- リチャード・バーベッジ — シェイクスピアの悲劇作品の多くで初演を務めた名優。
- ジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデル — 俳優兼経営者で、後にシェイクスピア作品の死後刊本として知られる『ファースト・フォリオ』の編纂と刊行を行った。
劇場と上演
国王一座は、屋外の円形劇場と屋内劇場を組み合わせて上演した。特にグローブ座と密接な関係があり、そこではシェイクスピアの多くの作品が初演された。のちには屋内のブラックフライアーズ座も確保し、冬季の上演や、より上流の観客に向けた公演が可能になった。一般向けの競争相手にはアドミラル一座などがあり、彼らは海軍卿の庇護のもとで活動していた(庇護制度について見る)。
歴史的意義と遺産
この劇団の存在感は、初期近代演劇の制作と流通のあり方を形づくった。構成員による出版と運営への関与は、重要なテキストの保存にもつながった。たとえば、ヘミングスとコンデルは1623年にシェイクスピア戯曲集『ファースト・フォリオ』を編纂・刊行している。1642年、イングランド内戦のさなかに劇場が閉鎖されると劇団の公開活動は終わりを迎えたが、その影響は、彼らが確立に寄与した戯曲、演技慣行、演劇制度を通じて残り続けた。
この時代の劇団が活動するには、正式な許可と貴族または王室の庇護が必要だった。こうした制度が、国王一座が活動した法的・商業的枠組みを定めていた。宮廷での公演、人気劇場での上演、安定した創作人員の組み合わせにより、彼らはイングランド演劇の発展における中心的存在となった。
より広い演劇史や関連集団については、当時の記録に見られる当時の俳優たちや、時代の管理体制(劇団の記録、庇護制度)を参照されたい。歴史資料館や初期近代演劇の専門研究を通じても、追加の資料やコレクションを利用できる。シェイクスピアに関する参考文献は、劇作家と劇団の創造的な協働を理解する手がかりとなる。