スコットランドのマクベス王と混同しないように

マクベス』は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲である。シェイクスピアは歴史、喜劇、悲劇の3種類の戯曲を書いたが、マクベスはシェイクスピアが書いた最も短い悲劇である。1603年から1607年にかけて、イギリス王ジェームズ1世の時代に書かれた。

シェイクスピアは、劇中の一部の人物(マクベス、マクダフ、ダンカン)を、1587年の歴史書『ホリンシェッド年代記』の実在人物の記録をもとにおおまかに作成した。しかし、劇中で起こることは、現実に起こったこととは大きく異なる。

あらすじ(概観)

マクベスは野心と罪悪感が交錯する短い悲劇で、超自然的な予言が主人公を破滅へ導く。簡潔にまとめると次のような流れになる。

  • 戦場から戻る途中、マクベスとバンクォーは三人の魔女(weird sisters)に出会い、マクベスは「コーダーの戦長(Thane of Cawdor)となり、やがて王になる」と予言される。バンクォーには「子孫が王になる」という予言が下る。
  • ダンカン王の信頼を得ていたマクベスは、妻レディ・マクベスにそそのかされ、王ダンカンを暗殺して王位を奪う。マクベス夫妻は支配を維持するために次々と暴挙を重ねる。
  • バンクォーの暗殺を図るが、息子フリーアンスは逃げ延びる。マクベスは不安と幻覚に悩まされ、バンクォーの亡霊が宴席に現れる場面は有名である。
  • 魔女たちはマクベスに更なる予言を与え、「マクダフを恐れよ」「生まれながらの男には倒されない」「バーンナムの森がダンシネーンに移動するまでは無敵である」と告げる。これを過信したマクベスはさらに残虐な行為に及ぶ。
  • マクダフは家族を惨殺され、スコットランドから逃れてイングランドでマルカム(ダンカンの長男)と結束する。最終的にマルカム軍はバーンナムの森の枝を用いて兵を隠しながら進軍し、予言の文字どおり森が「動く」。戦いの末、マクベスはマクダフに討たれ、マルカムが王となる。

主な登場人物

  • マクベス — スコットランドの将軍。魔女の予言を機に野心を募らせ、罪を重ねていく。
  • レディ・マクベス — マクベスの妻。冷徹に夫をそそのかすが、次第に罪の意識に蝕まれていく。
  • バンクォー — マクベスの同僚将軍。予言では子孫が王になるとされる。
  • ダンカン王 — スコットランド王。マクベスに殺される。
  • マルカム — ダンカンの長子。イングランドに逃れて反乱軍の中心となる。
  • マクダフ — 貴族でマクベスの対抗者。家族を殺され、マクベス討伐に向かう。
  • 三人の魔女(Weird Sisters) — 超自然的存在。運命や不吉な出来事を予告し、劇の狂気を促進する。
  • その他 — フリーアンス(バンクォーの息子)、ロス、レンナックス、医師、召使、暗殺者など。

成立背景と史料

作品の主要な史料は『ホリンシェッド年代記』などの歴史書で、シェイクスピアは史実を脚色して劇化している。成立年代はおおむね1603年から1607年頃とされ、イングランド王となったジェームズ1世(以前はスコットランド王ジェームズ6世)の治世に重なる。ジェームズは〈魔女〉や〈王権〉に深い関心を持ち、1597年の著作『Daemonologie』などからも分かるように当時の〈魔女観〉が劇のモチーフに影響を与えたと考えられる。

テクストは最終的に1623年のFirst Folioで写本化されて広まった。政治的な不安(例:グンパウダー陰謀事件〈1605年〉の時期的影響)や王権正当化の問題意識も、劇に反映されている点がしばしば指摘される。

主題・特色

  • 野心と罪悪感 — マクベスの「上昇」とその後の崩壊は、個人の道徳的選択と心理的崩壊を描く。
  • 超自然と運命 — 魔女の予言が運命論的な要素を与えつつ、登場人物の選択が破滅を招く点で〈運命対自由意志〉の問いを呈する。
  • 象徴とイメージ — 血や暗闇、眠り(睡眠)と目覚めのモチーフが繰り返され、罪の痕跡や精神の崩壊を可視化する。特に「睡眠=良心の平穏」を失う描写は劇の核となる。
  • 言語表現 — 短く凝縮された台詞、詩的な独白(ソリロキー)が多く、象徴的・逆説的表現(例:"Fair is foul, and foul is fair.")が作品全体に不穏な響きを与える。

上演史・翻案

マクベスは上演が多く、世界中で様々な解釈と舞台化がなされてきた。いくつかの代表的な翻案を挙げると:

  • アキラ・クロサワ(黒澤明)による映画『蜘蛛巣城(Throne of Blood)』(1957年)— 日本的な要素を取り入れた傑作映画化。
  • ロマン・ポランスキー監督による映画『マクベス』(1971年)— 暴力描写や世紀末的な美術で知られる。
  • オーソン・ウェルズによる映画版(1948年)など、各国での映画化・舞台化が多数存在する。
  • ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ《マクベス》(1847年ほか改訂)— オペラ化された代表作の一つ。

演劇界には〈マクベスの呪い〉という迷信があり、劇場で作品のタイトルを口にすることを避ける慣習がある(代わりに「スコットランドの劇」などと呼ばれる)。

言語・名台詞

作品は多くの有名な台詞を生んだ。例としては:

  • "Fair is foul, and foul is fair." — 善と悪が裏返る世界を象徴する魔女の言葉。
  • マクベスの独白 "Is this a dagger which I see before me?"(「我が前に見えるは、この短剣か?」)や、後半の "Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow..."(「明日、また明日、また明日…」)は、人間の虚無感や時間感覚を鋭く表現している。
  • レディ・マクベスの「Out, damned spot!」に相当する場面は、手の血を洗い落とそうとする妄執を示す重要な象徴場面である。

現代的意義

現代でもマクベスは権力の本質、道徳的責任、ジェンダー役割(レディ・マクベスの〈強さ〉と〈脆さ〉)、政治的暴力の正当化など、多様な問題を考えるテキストとして読み続けられている。短く凝縮された構成と強烈なイメージにより、上演のたびに新しい解釈を提供する余地がある作品である。