ロンドンデリー(デリー)とは|北アイルランドの城壁都市・歴史と名称問題

アイルランド語でデリーDoire Cholm Cille or Doire Calgaighは、北アイルランドではベルファストに次ぐ第2の都市であり、アイルランド島ではダブリン、ベルファスト、コークに次ぐ第4の都市とされることが多い。人口は市域の定義によって変わるが、おおむね約10万人前後と見積もられている。市の起源は6世紀にさかのぼり、伝承では聖コルム・キル(Colmcille, Columba)が542年に修道院を建てたことに始まる。市内には古い城壁が残り、現在でもほぼ完全な形で保存されている。アイルランド共和国のドニゴール郡との国境に近く、行政的にはロンドンデリー郡(County Londonderry)に位置する。

地理と主要施設

デリー(ロンドンデリー)はフォイル川(River Foyle)沿いに広がる港湾都市で、旧市街は城壁に囲まれたコンパクトな区域として残る。城壁上からは川や周辺部の景観が見渡せ、観光客に人気の散策ルートとなっている。市のランドマークには、市庁舎とゴシック復興様式のギルドホール(Guildhall)、フォイル河畔のプロムナード、Tower Museum Museum of Free Derryなどの博物館、壁画群(特にナショナリスト側の歴史を描いたもの)などがある。近郊には市の空の玄関であるシティ・オブ・デリー空港(Eglinton/Londonderry Airport)もある。

歴史の概略

この街は元々、アイルランド語で「樫の木の群生地」を意味するドワール(発音:duhruh)と呼ばれていましたが、英語ではこの言葉が"Derry"となりました。英語での表記は「デリー」です。17世紀初頭のアルスター・プランテーション(植民)期に、ロンドン・カンパニーズはデリーの港と城壁の建設に資金を提供し、これを契機に「Londonderry(ロンドンデリー)」という名称が公式に用いられるようになりました。城壁は主にこの時期に築かれ、その後の歴史の舞台となります。

1689年にはウィリアマイト戦争の一局面である「デリー包囲戦(Siege of Derry)」が発生し、約105日間にわたる包囲が行われました。近代では1960〜70年代以降の北アイルランド紛争(The Troubles)において重要な場所となり、特に1972年1月30日に発生した「ブラッディ・サンデー(Bloody Sunday)」では市内のローズバンク通り(当時の市内)で民間人が多数銃撃され、多くの死者・負傷者が出ました。後年のサヴィル調査(Saville Inquiry)は当時の射撃を不当と結論づけ、2010年にはイギリス政府が正式に謝罪しました。

城壁と観光

デリーの城壁はイギリス諸島でも保存状態の良いものの一つで、城門(Butcher Gate, Bishop’s Gate, Shipquay Gate など)や砲台跡が見られる。城壁は旧市街をぐるりと取り囲み、徒歩で一周できるため観光客に人気がある。旧市街の中心にある「ザ・ダイアモンド(The Diamond)」や、ギルドホール周辺、フォイル川沿いの散歩道、博物館や文化施設も観光の目玉である。2013年には文化都市(UK City of Culture)に選ばれ、演劇・音楽・フェスティバルなどの文化イベントが活発に行われている。

名称問題(Derry vs Londonderry)

この街の呼び名は政治的・宗教的・民族的な感情を伴うセンシティブな問題です。歴史的経緯から「Londonderry(ロンドンデリー)」という名称が公式文書や地図で使われてきましたが、アイルランド語由来の「Derry(デリー)」を支持する人々も多くいます。1984年に市議会は地方自治体の名称を元の名称であるデリーに戻しましたが、王室勅許状(Royal Charter)に基づく市の正式名称は引き続きロンドンデリー(Londonderry)となっており、英国政府や一部公式文書ではLondonderryが用いられます。

一般的には、アイルランド共和国側の人々や多くのカトリック教徒/民族主義(共和派)の人々はこの街を「デリー」と呼び、北アイルランドでイギリス残留を望む多くのプロテスタント/連合主義(ユニオニスト)の人々は「ロンドンデリー」と呼びます。英語圏では中立的に表記するために「Derry/Londonderry」や略して「Derry~Londonderry(通称:the Stroke)」などと表記されることもあります。呼称は相手や文脈によってセンシティブになるため、場所や聞き手に配慮することが望まれます。

現代の街と社会

近年のデリーは、紛争の影響から徐々に経済・文化面での再生を図っており、観光や文化産業、小規模なビジネスが成長している。市中心部や周辺地域では再開発や公共施設の整備が進み、国境に近いという地理的条件を生かした交流も見られる。都市には歴史的遺産と現代アートや音楽シーンが共存し、地域コミュニティによる和解・共生の取り組みも行われている。

まとめると、デリー(ロンドンデリー)は古い歴史と保存された城壁、近代史における重要な出来事、そして現代における文化的再生が重なる街であり、その名称をめぐる議論は北アイルランドの複雑な歴史と社会を象徴している。

デリーの紋章。Zoom
デリーの紋章。

質問と回答

Q: デリーとは何ですか?


A: デリーは北アイルランドで2番目に大きな都市であり、アイルランド島で4番目に大きな都市です。

Q: デリーの人口はどのくらいですか?


A: デリーの人口は約100,000人です。

Q: デリーはいつ設立されたのですか?


A: デリーは542年に設立されました。

Q: デリーには古い城壁がありますか?


A:はい、デリーには古い城壁があり、現在も完成しています。

Q:デリーはどこにあるのですか?


A: デリーはロンドンデリー州にあり、アイルランド共和国のドニゴール州との国境付近にあります。

Q:北アイルランド最大の都市はどこですか?


A:北アイルランド最大の都市はベルファストです。

Q: アイルランド島で最も大きな3つの都市はどこですか?


A: アイルランド島の3大都市は、ダブリン、ベルファスト、コークです。

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