メムノンとは?ギリシャ神話のエチオピア王・トロイア戦争の半神英雄

メムノン—エオスの子でエチオピア王、トロイア戦争でアキレスと激突した半神英雄の生涯と死を詳しく解説。

著者: Leandro Alegsa

メムノンギリシャ語:Μέμνων)は、アエチオピアの王で、トロイア戦争ではトロイアの同盟者であった。ティトヌスと暁の女神エオスの子で、半神である。戦士としては、アキレスとほぼ同等の実力と技量を持つとされた。トロイア戦争では、メムノン自身が激戦のさなかにアンティロクスを殺害し、後にアキレスによって殺された。このメムノンの死は、アキレスが殺したトロイの守護者ヘクトルの死と重なるように見える。

系譜と出自

出自:メムノンは女神エオス(暁の女神)と人間ティトヌスの子とされるため、半神的存在と見なされる。ギリシャ語の伝承では「アエチオピア(Aethiopia)」の王として描かれ、ここでの「アエチオピア」は古代ギリシャ人が指した広範な黒人国家や南方の地を意味し、現代の国境概念とは一致しない。

トロイア戦争での役割

物語はホメーロスの『イリアス』の直接の物語範囲外に位置するが、後代の叙事詩や伝承(特に失われた『アエチオピス』や、後代の詩人クイントゥス・スムルネイオスの『ポストホメリカ』)で詳述される。内容の要点は次の通りである:

  • メムノンはトロイアに味方して艦隊を率いて到着し、トロイア側の戦力を大いに強化した。
  • 戦場でメムノンは勇猛を示し、ギリシャ側の若き英雄アンティロコス(アンティロクス)を討ち取る。アンティロクスはネストールの息子であり、これが戦いの激化を招く。
  • アンティロコスの死を受け、怒りに駆られたアキレスはメムノンと対峙し、最終的にメムノンを討ち取る。両者の戦いはアキレスの英雄譚の延長線上にあり、読者・観衆に大きな印象を残す場面となった。

死後と伝承

伝承にはいくつかの変種がある。一般的な筋では、メムノンの死は母エオスを深く嘆かせ、彼女はゼウスに息子のための慈悲を訴える。ある伝承では、ゼウスがメムノンに一時的あるいは限定的な不死を与えたとされることもあるが、別の伝承では英雄として祭られ、神的な位までは与えられないとされる。

後世の解釈では、メムノンの死はヘクトルの死と類比されることが多い。双方ともトロイア側の有力な戦士がアキレスによって倒される点が共通し、英雄同士の対決というテーマ性が強調される。

美術・考古学上の反映

メムノンは古代ギリシャの陶器画や彫刻にしばしば描かれ、トロイア戦争場面の中でも重要な位置を占める。戦士としての誇り高い姿や、母エオスの悲しみを表す図像が見られる。ローマ時代やその後の詩人・歴史家たちもこの伝説を引用し、メムノンの物語は長く語り継がれた。

「メムノン」とエジプトの記念碑(コロッサイ)

興味深い文化的結びつきとして、古代ギリシャ・ローマの旅行者たちはエジプト・テーベ近郊の巨大な石像(現在はアメンホテプ3世の座像である)を「メムノンの像」と呼んだ。これらの像は朝に「鳴く」と報告され、その現象を暁の女神エオスとの関連(朝の光と「歌う」メムノン)として解釈する者もいた。こうした後世の結びつきにより、メムノン伝説は地理的にも広く結び付けられた。

主要史料

  • 『イリアス』:メムノン自身の活躍は描かれないが、トロイア戦争の背景として重要。
  • 失われた叙事詩『アエチオピス』:メムノン到来や戦死の物語を扱ったとされる(断片と後代の引用でのみ知られる)。
  • クイントゥス・スムルネイオス『ポストホメリカ』:『イリアス』の後を描き、メムノンの戦いと死を比較的詳しく伝える。

まとめると、メムノンは暁の女神の息子としての半神的性格と、トロイア戦争での勇猛さによって古代ギリシャの英雄叙事詩群において重要な位置を占める人物である。その物語は諸伝承や美術を通じて多様に受け継がれ、ヘクトルやアキレスと並んで戦いと悲劇を象徴する存在となった。

ベルナール・ピカール(1673-1733)作「メムノンZoom
ベルナール・ピカール(1673-1733)作「メムノン



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