中米の階段ピラミッド(メソアメリカ)とは:マヤ・アステカ等の定義と代表例

中米の階段ピラミッドとは何かを解説。マヤ・アステカなどの定義・代表例(チョルラ等)と建造文化を写真付きで詳述。

著者: Leandro Alegsa

中米ピラミッド(メソアメリカの階段ピラミッド)は、中米に暮らした先住民(ネイティブアメリカン・インディアン/各種の古代文明)によって建てられた石造建築で、その多くが階段状のピラミッドという形態を持ちます。宗教的・儀礼的な「神殿プラットフォーム」を上部に備え、都市の中心や神域に置かれることが多く、マヤのピラミッドはその代表例の一つです。

誰が造ったか(主な建造民族)

ピラミッドを建設した主な民族・文化には次のものがあります:

  • アステカ族 — テノチティトラン(後のメキシコシティ)で巨大な神殿(テンプロ・マヨール)を建立。
  • テオティワカン — 太陽のピラミッド・月のピラミッドなど、メソアメリカでも規模の大きい建築を展開。
  • トルテカ — トゥーラなどで特色ある装飾石造を築く。
  • サポテカ族 — モンテ・アルバンなどの都市で高地メキシコにおけるピラミッドを建造。
  • ピューレペッカン
  • マヤ人 — チチェン・イツァ、パレンケ、ティカルなどで多様なピラミッドを残す。
  • チャルキフアイト

特徴と機能

  • 階段状の構造:複数の平坦な段(平台)を積み上げ、頂上に神殿や祭壇を置く形式が典型。エジプトの滑らかな側面のピラミッドとは異なる。
  • 宗教・儀礼の中心:神殿、祭儀場、供物や生贄の場として用いられ、宗教的権威と政治的権力の象徴となった。
  • 天文的配列:多くは天文観測や暦に関連した配置・整列が見られ、例えば春分・秋分に太陽の蛇が階段に現れる演出がある(チチェン・イツァの現象など)。
  • 建築技術:石材や漆喰(スタッコ)、時には土や煉瓦(アドベ)を用いる。地点によってはtalud-tablero(タルド=タブレロ)構法が用いられた。
  • 象徴性:山や宇宙観の象徴としての意味を持つことが多く、王権や神格化と密接に結びつく。

時代区分

中米のピラミッド建設は長期にわたり、一般的な時代区分は以下の通りです:

  • 先古典期(プレクラシック)約紀元前2000年頃〜紀元後250年頃 — 初期の土壇や石造が登場。
  • 古典期(クラシック)約250〜900年頃 — 都市化と石造建築の成熟。ティカル、モンテ・アルバンなどの活動期。
  • 後古典期(ポストクラシック)約900〜1521年頃 — テオティワカン崩壊後の新しい様式や再編。アステカやトルテカの時代を含む。

代表的なピラミッド(例)

  • チョルラの大ピラミッド — 体積で最大級とされる(建造者不明の部分があり、長期間にわたる増改築の結果)。
  • テオティワカンの太陽のピラミッド・月のピラミッド — メキシコ高原の巨大都市の中心構造。
  • チチェン・イツァの「エル・カスティーヨ」(ククルカンの神殿) — 春分秋分の光の演出で有名なマヤの階段ピラミッド。
  • パレンケの碑文の神殿(Temple of the Inscriptions) — マヤの王墓を内包するピラミッド型神殿。
  • モンテ・アルバンのピラミッド群 — サポテカの中心で、段丘状の広場と神殿。
  • テンプロ・マヨール(アステカ、テノチティトラン) — 都市中心の主要神殿。植民期前の重要遺構。
  • トゥーラ(トルテカ)の建造物 — アトランテス像などとともに特色ある宗教建築を残す。

考古学的意義と保存

中米の階段ピラミッドは、その地域の社会構造、宗教、天文学、造形技術を理解する上で不可欠です。多くの遺跡は発掘・復元され、ユネスコの世界遺産に登録されているものもありますが、風化、都市開発、観光や盗掘による損傷も問題となっています。保存・修復、地域コミュニティとの協働が重要です。

補足:注意点

・「中米ピラミッド」は地域的・時代的に多様で、構造や用途は文明ごとに違います。
・一部のピラミッドでは建造者がはっきりしない場合や、長期間にわたる増改築で様式が混在している場合があります(例:ご紹介したチョルラの大ピラミッドなど)。

以上のように、メソアメリカの階段ピラミッドは単なる巨大建造物ではなく、宗教、政治、天文学、建築技術が結びついた文化的成果物です。保存と研究を通じてさらに多くのことが明らかになっていく分野です。

チョルーラの大ピラミッドZoom
チョルーラの大ピラミッド



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