ムジカ・フィクタ(Musica ficta)とは — 定義と中世・ルネサンスの臨時記号習慣
Musica ficta(ムジカ・フィクタ)とは、中世・ルネッサンス期の音楽に用いられる用語で、楽譜に明記されていないにもかかわらず、演奏者や歌い手が実際の演奏で臨時に音を変える(シャープやフラットを入れる)習慣を指します。歴史的にはmusica recta(規定された音、あるいはガモート/六音階内の音)に対する概念として説明されることが多く、ムジカ・フィクタは「譜面にないが実務上必要とされる変更」を意味しました。
この習慣が生まれた背景には、当時の音楽が現代の長調・短調ではなくモード(旋法)を基礎にしていたことがあります。モードの進行やカデンツ(終止)を滑らかにするため、あるいは不快な増四度・減五度(いわゆる“diabolus in musica”=三全音)を避けるために、演奏者は音を半音上げ下げしました。例えば、BとFが同時に存在するとB–Fの音程が三全音(いわゆるトリトーン)になりやすいため、文脈によってはBをフラット(B♭)にするか、あるいはFをシャープ(F♯)にして回避することが行われました。また、モード上で終止を強くするために第7音を上げて導音(leading tone)を作るといった処置も一般的でした。こうした変更はしばしば譜面には示されず、演奏慣習として期待されていた点が特徴です。
ムジカ・フィクタの扱いは地域や時代、作曲家によって異なり、当時の対位法や音楽理論書(たとえばグラレアンやティンクトリスなどの理論家の記述)に基づく習慣的なルールが存在しました。表記面では、当時の譜面に現代の♯・♭記号がいつも使われていたわけではなく、丸いb(b rotundum)や角ばったb(b quadratum)などの記号が用いられたり、まったく書かれなかったりしました。演奏者はガイドとなる六音階(グイディオの六音階)や対位法の規則を頼りに、どの音を変えるべきか判断したのです。
16世紀後半から17世紀にかけて、鍵盤楽器の発達や平均律に近い調律法、さらに調号や臨時記号の体系化が進んだことで、作曲家や写譜者は必要な臨時記号を譜面に明記するようになり、口承的なムジカ・フィクタの習慣は次第に減少しました。しかし完全に消えたわけではなく、後世の編集者や演奏解釈者は歴史的な演奏習慣を再現する際にムジカ・フィクタをどう扱うかを検討します。現代の校訂では、編集者が歴史的根拠に基づいて臨時記号を追加し、それを角括弧や小さな書体で示すことが一般的です。
まとめると、Musica ficta(ムジカ・フィクタ)は「譜面に書かれていないが歴史的に求められた臨時的な音の変更」の習慣であり、モード音楽の円滑な進行や不協和の回避、カデンツの強化といった実用的な目的から生じました。歴史的演奏法や楽譜校訂を理解するうえで重要な概念です。
質問と回答
Q: ムジカフィクタとは何ですか?
A: ムジカフィクタとは、中世・ルネサンス期の音楽において、音楽家が楽譜に書かれていない偶発音(シャープやフラット)を入れて演奏したり歌ったりすることを指します。
Q: なぜ、音楽家はムジカフィクタを使ったのでしょうか?
A: 当時の音楽は、長調や短調といった現代的なシステムではなく、モードを使っていました。そのため、音をシャープにしたりフラットにしたり(半音上げる、下げる)しないと、音楽が正しく聞こえないことがありました。
Q:ムジカフィクタの例を教えてください。
A:B音からF音に下げると響きが悪いので、F音は嬰F音にする必要があります。しかし、それを書いた作曲家は、わざわざ嬰ヘ音記号を付けないかもしれません。
Q:なぜ作曲家は自分の欲しい音を正確に書くようになったのでしょうか?
A: 徐々に、作曲家が自分の望む音符を正確に書くことが必要になってきました。近代的な鍵盤のシステムが発達してきたのです。調号や偶発音(調号にはないシャープやフラットを、必要な時に必要なだけ書くこと)のシステムも開発されました。
Q: ムジカフィクタの練習はどうなったのですか?
A:ムジカフィクタの習慣は次第に廃れていきました。
Q:現代の長調と短調のシステムはいつできたのですか?
A: 16世紀末に、長調と短調の近代的なシステムが開発されました。
Q:音楽における偶発音とは何ですか?
A:調号にはないシャープやフラットが、必要な時に必要なだけ書かれているものです。