ナッズァットとは?起源・語彙・用法を解説|『時計じかけのオレンジ』の架空スラング
『時計じかけのオレンジ』発の架空スラング「ナッズァット」を起源・語彙・用法まで分かりやすく解説。ロシア語由来や英語表現との関係も詳述。
ナッズァット(Nadsat)は若者のスラング風に作られた架空の言語・言語変種です。ここで使われているスラングは、作家のアンソニー・バージェスが『時計じかけのオレンジ』という小説を書いたときに考案したものです。この小説は、主人公アレックスと彼の仲間たち(ギャング)の視点で語られ、アレックスは作品内で一貫してナッズァットを話します。後にスタンリーキューブリックはこの小説を映画化し、映画タイトルも時計じかけのオレンジとして広く知られるようになりました。
起源と語源
「ナッズァット」の名称はロシア語に由来します。ロシア語では「10から19まで」の数字に付く接尾辞が -nadsat(ロシア語の表記では -надцать)で終わり、英語の -teen(ティーン)に相当します。このことからバージェスは「ナッズァット」を「ティーン(若者)」の意味合いを持つ語として選びました。
ナッズァットの語彙の多くは英語を基盤にしていますが、ロシア語からの借用やロシア語の語形を元にした語、さらにコックニーのライミング・スラング(韻を踏む言い回し)や古英語・俗語的な変形が混ざっています。結果として、既存の言語の要素を組み合わせた独特の語感が生まれています。
語彙と例(代表的な単語と語源)
ナッズァットは単に単語を置き換えただけでなく、語感と距離感を生み出すために意図的に作られています。以下はよく知られている代表語とその出典(語源)です。
- droog — 「友達」。ロシア語の друг(drug, friend)に由来。
- horrorshow — 「いい」「よい」。ロシア語の хорошо(khorosho, good)の音訳的な遊び。
- viddy — 「見る」。ロシア語の видеть(videt', to see)に由来。
- gulliver — 「頭」。ロシア語の голова(golova, head)が基になった英語化。
- glazzies — 「目」。ロシア語の глаза(glaza, eyes)から。
- britva — 「カミソリ」「ナイフ」など鋭器。ロシア語の бритва(britva, razor)。
- moloko / milk-plus — 「ミルク」。ロシア語の молоко(moloko)。作品中では薬物や酒を混ぜた「ミルク・プラス」などの表現で使われる。
- chelloveck / veck — 「人間・人」。ロシア語の человек(chelovek, person)に由来し、変形して用いられる。
文法と構造
ナッズァットは厳密な独立文法を持つ人工言語というより、英語文の語彙を入れ替え・変形して作った「社会語(ソシオレクト)」です。したがって語順や文法の基本は英語に従い、語形変化や冠詞・時制なども英語的です。ナッズァットの主要な特徴は語彙の置換と音韻遊びによって読者・聴衆に距離感(異化効果)を与える点にあります。
作品内での役割と効果
バージェスがナッズァットを用いた主な目的は二つあります。
- 暴力描写などショッキングな内容を直接的に感じさせすぎないように、語彙をひとつ隔てることで読者を守りつつ物語世界の雰囲気を作ること。
- 主人公アレックスとその仲間たちの世代や集団性を言語で表現し、彼らが現実の社会から分離した特殊な集団であることを示すこと。
このためナッズァットは読者にとって初見では意味が取りづらく、物語への没入感と同時に距離感を生む独特の装置となっています。
映画化(キューブリック版)との関係
キューブリックの映画版では、バージェスの造語やロシア語系語彙が映像表現と結び付き、ナッズァットは視覚的・聴覚的にも強い印象を残しました。映画はナッズァットの多くをそのまま用い、英語圏の観客にも言葉の響きで不穏さや若者文化を印象づけています。一部の語は映画によってさらに広く知られるようになりました(例:ultra-violence など)。
注意点:表記や読み方
日本語表記には揺らぎがあり、ナッズァット、ナダサット、ナドサットなどの表記を見かけます。英語の綴りは「nadsat」で、ロシア語の語尾 -надцать に由来するため、日本語では「ナッズァット」と表記することが多いですが、原作・翻訳の版や訳者によって異なる表記が使われています。
学術的・文化的意義
ナッズァットは言語遊戯と文学表現の好例として言語学・文学研究で繰り返し取り上げられています。若者言語、スラング、借用語、社会言語学的な境界形成(ingroup/outgroup)を考えるうえで興味深い素材です。また、冷戦期の文脈を背景にロシア語要素を取り入れた点も、当時の文化的感受性を反映しています。
さらに詳しい語彙リストや用例を知りたい場合は、原作のテキストや翻訳、専門の語彙集を参照するとよいでしょう。
百科事典を検索する