オッピドゥム(Oppidum)とは:ケルトの鉄器時代大集落とヨーロッパ都市化の起源
オッピドゥムの起源を解説:ケルトの鉄器時代大集落がヨーロッパ都市化へつながった歴史・遺跡・社会構造をわかりやすく紹介。
Oppidum(複数形 opida)は、古代ラテン語で「(しばしば防御された)集落・町」を意味する語で、ローマ時代の行政・地理記述にも用いられました。語源はラテン語の ob-pedum(囲まれた・占有された場所)と考えられ、さらに遡れば 原始インド・ヨーロッパ語の語根 *pedóm-(占有空間や足跡を示す)にさかのぼる可能性があります。古代の記録では、ローマの文献や地誌の中で集落を指す一般用語として用いられる一方、考古学では特にケルト人を中心とした鉄器時代後期の大規模な定住と防御工を伴う「オッピドゥム群」を指す専門用語として定着しています(ラテン語の語義は文脈によって変化します)。
歴史的背景と分布
ユリウス・シーザーは、ガリアで観察したより大きなケルト人の鉄器時代の集落をoppidaと呼びました。これらの集落は主に西ヨーロッパと中央ヨーロッパに分布し、紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけて(ラ=テーヌ文化の最盛期)に急速に発展したとされます。オッピドゥムはサイズや機能に幅があり、小さな防塁付き村から、数百ヘクタールに及ぶ大規模な町並みを形成するものまでさまざまです。
構造と主な特徴
オッピドゥムは単なる丘の砦(ヒルフォート)とは区別されることが多く、次のような特徴を併せ持つことで知られます。
- 大規模な防御工:土塁・石壁・木柵などで周囲を囲み、ガリア式城壁(murus gallicus)など特有の築造技術が見られる例もあります(総称して城壁・堀・門など)。
- 広い区画・計画的配置:通りや広場、区画が認められるものがあり、単なるランダムな集落より計画性が高いことが多いです。
- 高所または見晴らしの良い立地:防衛・監視や交易ルートの管理を意図した立地選定がなされることが多く、周辺の交通や農地を視野に入れた配置がとられます。
- 経済的・工芸的機能:鍛冶、鋳造、織物、陶器などの工房跡、貯蔵施設、貨幣の流通痕跡が見つかり、地中海世界との交易痕跡(アンフォラや輸入陶器、銀貨など)も豊富です。
- 宗教・社会的施設:祭祀に関連する遺構や遺物、指導層の住居や墓地など、社会的階層や集落運営の痕跡が残ります。
役割と社会構造
オッピドゥムは単なる軍事拠点ではなく、政経の中心地としての性格を持ちます。カエサルは各部族に複数のオピディダが存在すると述べる一方で、すべてが同等に重要であったわけではないと指摘しており、これは部族間や地域内にある種の ヒエラルキーが存在したことを示唆します。指導層による統治・徴税・貯蔵、交易の中継点としての機能が結びつき、周辺農村の経済を統合する役割を果たしました。
ローマの到来とその後
ローマによる征服後、多くのオッピドゥムはローマの行政・都市化政策に取り込まれ、ローマ的な街路網や公共施設を持つ「ローマ式都市」へと変貌する例が多く見られます。しばしば山頂に築かれていたオッピドゥムの位置は、ローマの都市計画に合わせて平地に移されることがあり、これにより古い要塞化された配置からより開放的な都市空間へと転換しました。
代表的事例と保存状況
保存状態の良いオッピドゥムの一つに、フランスのエンゼルヌ(Ensérune)があります。それは紀元前6世紀頃から紀元前1世紀、さらにローマ時代にかけて連続的に占領されていた遺跡で、集落構造や交易の痕跡が明瞭に残っています。他方、いくつかのオッピドゥムは後代の都市化によって今日の大都市の下に埋没しており、たとえば古代の遺構が現代の都市に覆われている例として、現在のウィーン(ヴィンドボーナ)周辺などが挙げられます。
考古学と研究の意義
オッピドゥム研究はヨーロッパにおける都市化過程、社会組織、地中海世界との交流を解明する上で極めて重要です。住居跡、工房、貯蔵庫、貨幣や輸入品の出土は、経済ネットワークや職能分化、人口規模の推定に寄与します。発掘調査・地表測量・空中写真・地中レーダーなど多様な手法により、遺構の広がりや構造が明らかにされています。
まとめ
Oppidum(opida)は、ケルト系を中心とする鉄器時代ヨーロッパにおける『大規模な定住・集落』であり、軍事、防衛、経済、行政、宗教といった複数の機能が複合した都市化の初期形態と言えます。これらはローマ時代に取り込まれて多くがローマ的都市へと発展することで、ヨーロッパにおける古代都市の基盤を形作りました。現代の考古学は、こうしたオッピドゥムの多様性と地域的役割を解き明かし続けています。
参考:本項は語源や古典資料、考古学的研究成果を踏まえて総合的に整理しています。地中海以北での大規模集落化という点で、ヨーロッパの都市化史における重要な段階を示します (地中海世界との接点も多数確認される)。紀元前6世紀から紀元1世紀にかけての変遷と、その後のローマ化の過程が理解を深める鍵です(例:紀元前から1世紀にわたる連続占領事例など)。

デントルモンのオピダムの遺跡 1
質問と回答
Q:オピダムとは何ですか?
A:オピダムとは、鉄器時代の大規模な城塞集落のことです。
Q: オッピダはいつごろから使われていたのですか?
A: オッピダは紀元前2世紀から1世紀にかけて最もよく使われ、ローマ帝国が南・西ヨーロッパを征服するまで続きました。ドナウ川とライン川の北側のゲルマニアでは、紀元1世紀まで使用されていました。
Q: オプティダムの主な特徴は何ですか?
A:壁や門を備えた計画的な建物であること、広々とした間取りであること、周囲を見渡せることなどが主な特徴です。
Q: ヨーロッパの都市化にどのように貢献したのでしょうか?
A:オピダは、地中海以北で初めて都市と呼べる大規模な集落であり、ヨーロッパの都市化の重要なステップとなりました。
Q: すべてのオフィダは防衛的な役割を担っていたのでしょうか?
A:いいえ、すべてのオフィダが重要な防衛の役割を担っていたわけではありません。いくつかのオフィダは丘の砦から発展しましたが、すべてが防衛の目的を持っていたわけではありません。
Q:オフィダには階層があったのでしょうか?
A:ジュリアス・シーザーは、各部族が数種類のオピダを所有していたことを示唆しており、オピダの中に何らかの階層があった可能性があります。
Q: 現在も保存状態の良いものはあるのでしょうか?
A: はい、紀元前6世紀から紀元後1世紀まで継続して居住していたフランスのアンセリューヌに保存されている例があります。また、ウィーンに覆われたヴィンドボナのように、大都市の地下に埋もれている例もあります。
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