プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)—ジョン・レノンとオノ・ヨーコの実験的ロック・バンド
プラスティック・オノ・バンド|ジョン・レノンとオノ・ヨーコが生んだ実験的ロックの軌跡。『Give Peace A Chance』誕生秘話や革新的ライブ、活動の変遷を解説。
プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)は、オノ・ヨーコが夫(元ビートルズ)のジョン・レノンと結成した、実験的かつ政治性の高いロック/アート・ユニットである。名称は固定メンバーを指すものではなく、レコーディングや公演ごとに参加者が入れ替わる「可変的なバンド」というコンセプトが特徴だった。当初の活動期はおおむね1969年から1974年までとされるが、その後も断続的にその名義が用いられることがあった。
結成の経緯とコンセプト
レノンとオノは、音楽のみならずパフォーマンス・アートや平和運動を結びつける試みとして、固定メンバーに縛られない「プラスティック・オノ・バンド」という概念を打ち出した。バンド名は文字通りの「プラスチック製ケース」や「人工的(plastic)な集合体」というイメージと、誰でも参加できるという開かれた態度を同時に表している。リスナーや観客を含めてバンドの一部と見なす表現は、当時としては斬新なアイデアだった。あるレコードの広告には、電話帳のページと「YOU ARE THE PLASTIC ONO BAND」の文字が入っており、観客参加型の思想を象徴している。
初期の活動 ― 「Give Peace A Chance」
最初のシングル「Give Peace A Chance」は、1969年にモントリオールのホテルで行われたベッド・イン・フォー・ピース(平和のためのベッド・イン)で録音された。録音には、当時現地に居合わせた詩人や活動家、ファンなど多くの参加者がコーラスや声を添え、簡潔なコール&レスポンス形式の反戦歌として完成した。オノとレノンはシングル発売直前に怪我で入院したため、デビュー・イベントには出られなかったが、代わりに音響機材の入ったプラスティックのケースを「新しいバンド」の一部として送り、象徴的に公表したというエピソードが残る。この曲は当時のベトナム戦争への抗議歌として、イギリスやアメリカでマイナー・ヒットとなった。
トロント公演と第2バージョン
プラスティック・オノ・バンドのもう一つの重要な瞬間は、1969年9月に行われたトロントでのロック・コンサート(Toronto Rock and Roll Revival)への出演である。この公演には、エリック・クラプトン、クラウス・ヴォーマン、アラン・ホワイトらが参加し、エリック・クラプトンらと共演した。レノンがビートルズ以外のバンドと公の場で演奏したのはこれが初めてであり、大きな話題を呼んだ。このライブ録音は後にアルバム化され、またこのメンバーでレコーディングされたシングル「コールド・ターキー」は激しい演奏と率直な歌詞で注目を集めた。トロント公演の経験はレノンがビートルズからの独立をより現実的に考える契機となったことでも知られる。
レコーディングと主要作品
ビートルズ解散後、レノンは固定メンバーに縛られない形で音楽活動を継続し、オノと共作した作品や公演に参加したミュージシャンを「プラスティック・オノ・バンド」として扱った。代表的なスタジオ作品には、レノンのソロ・アルバム John Lennon/Plastic Ono Band(1970年)と、オノのソロ・アルバム Yoko Ono/Plastic Ono Band(1970年)がある。両アルバムともに、個人的な感情や政治的メッセージ、実験的表現が色濃く反映され、特にレノンの作品は心理療法(プライマル・セラピー)など自己探求の影響が音楽に現れていると評価される。ライブ盤では Live Peace in Toronto 1969(トロント公演の録音)が有名で、当時のエネルギーと即興性を伝えている。
私生活と一時的な中断
オノとレノンは1973年から1974年にかけて一時別居しており、レノンは別居期間中にリリースした2枚のアルバムでもバンド名を使用したが、オノのレコードはその時期には彼女の単独名義で発表された。1975年に二人は復縁し、ショーン・レノンは1975年10月9日、レノンの35歳の誕生日に生まれた。子育てのために二人は音楽活動を一時縮小し、結果としてプラスティック・オノ・バンドとしての活動も落ち着いた。
1980年以降と後年の動き
1980年、レノンは音楽活動を再開し、以後の作品は二人の実名(John Lennon & Yoko Ono)で発表されたため、当時はプラスティック・オノ・バンドの名称は事実上退いた。一方で、オノは後年にプラスティック・オノ・バンド名義を断続的に用いることがあり、特に2000年代以降は息子ショーンを中心とした世代との共演で名義を再活用している(例:「Yoko Ono Plastic Ono Band」名義での活動など)。そのため、同名は単なる過去の遺産に留まらず、オノのアートと音楽の継続的な実験精神を表すレーベルのようにも機能している。
音楽性と影響
プラスティック・オノ・バンドは、ロック、フォーク、即興演奏、前衛音楽、パフォーマンス・アートを横断する多様な音楽性を持っていた。オノの前衛的なボーカルやノイズ的な要素と、レノンのストレートなロック/ポップ感覚が混ざり合うことで、従来のポップ・ミュージックとは異なる挑発的な表現を生み出した。政治的メッセージ(反戦、平和、人権)を前面に出した点も特徴で、当時のカウンターカルチャー運動との結びつきが強い。プラスティック・オノ・バンドは、その後のアート・ロックやパンク、DIY精神に影響を与えたとも評価されている。
評価と遺産
結成から間もない時期のシングル群や1970年前後のアルバム群は、商業的成功だけでなく、音楽史上の重要な転換点として広く注目されている。プラスティック・オノ・バンドは「バンド」という枠を超えた芸術的プロジェクトとして、音楽と政治、パフォーマンスの境界を曖昧にした点で意義深い。今日でも、当時の録音や公演は研究対象となり、ジョンとヨーコの共同作業における実験精神は現代のアーティストにも受け継がれている。
(主な関連作品:シングル「Give Peace A Chance」「Cold Turkey」、アルバム John Lennon/Plastic Ono Band、Yoko Ono/Plastic Ono Band、ライヴ盤 Live Peace in Toronto 1969 など)
質問と回答
Q:オノ・ヨーコとジョン・レノンが結成したバンドの名前は何ですか?
A: プラスチック・オノ・バンドです。
Q: 彼らはいつ活動していたのですか?
A:1969年から1974年まで活動していた。
Q:最初のシングルのレコーディングに参加したのは誰ですか?
A: 最初のシングル「Give Peace A Chance」には、トミー・スモザーズ、アレン・ギンズバーグ、ノーマン・メイラー、ティモシー・リアリー、そして地元のハレクリシュナ支部が参加した。
Q: シングルがデビューする前に何があったのですか?
A: デビューする前に、レノンとオノは自動車事故に遭い、病院に入院することになったんだ。
Q:その場に居合わせないのに、どうやってデビューさせたのでしょうか?
A: デビューをキャンセルしたくないので、プラスチックケースに音響機材を入れて送り、代わりに演奏してもらいました。
Q:1969年9月、トロントで行われたロックコンサートに一緒に出演したのは?
A: エリック・クラプトン、クラウス・ヴォルマン、アラン・ホワイトが1969年9月にトロントで行われたロックコンサートに出演しました。
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