バルトは、1923年に生まれ、1933年に亡くなったシベリアンハスキーの名前です。彼は1925年に行われたいわゆる「血清輸送作戦」(The Serum Run)の最後を務めた先導犬として広く知られるようになりました。
1925年1月、アラスカのノームではジフテリアが流行し、病気を抑えるためのジフテリア抗毒素血清が至急必要になりました。救援物資を海で運ぶことがまず試みられましたが、船はベーリング海の氷のためノームに到着できませんでした。次に航空輸送を試みましたが、強い吹雪(ブリザード)と視界不良のため飛行機での輸送は不可能でした。
最終的に、アンカレッジから列車でネネナまで血清を運び、そこから複数のそり犬チームがリレー形式でノームへ向かう計画が立てられました。列車輸送と犬ぞりリレーを組み合わせたこの救援は合計で約674マイル(約1,085 km)に及び、極寒・吹雪・夜間走行といった過酷な条件の中で行われました。いちばん長い距離を走ったのは犬ぞり使いレオンハード・セッパラのチームとその先導犬トーゴで、トーゴは約261マイル(約420 km)を走破しました。一方、バルトはグンナル・カーセン(Gunnar Kaasen)が操るチームの先導犬で、最終区間(ノームへの到着を担う最後の区間)を牽引し、約53マイル(約85 km)を悪天候の中で走り切って血清を届けました。
この救援により多くの子どもたちが救われ、バルトをはじめとする犬たちとハスキー使いたちは一躍英雄として称えられました。新聞や一般の注目は最終到着を果たしたバルトらのチームに集まり、結果的にバルトが顔として広く知られることになりましたが、長距離を走破したトーゴとその操手の貢献も重要でした。
同年の数ヶ月後、ニューヨークのセントラルパークにバルトの銅像が建てられました(銅像には英語で「Endurance • Fidelity • Intelligence」(忍耐・忠誠・知性)といった賛辞が刻まれています)。バルト自身は1933年に亡くなり、その剥製(はくせい)は現在クリーブランド自然史博物館に展示されています。それ以外にもこの出来事は「大いなる慈善の競争(The Great Race of Mercy)」や後の犬ぞり文化・レース(たとえばアイディタロッドなど)への関心を高める契機となりました。
要点まとめ:
- 事件:1925年1月、ノームでのジフテリア流行に対する血清輸送(The Serum Run)。
- 輸送方法:船・飛行機は不可能になり、列車でネネナへ、そこからそり犬のリレーでノームへ(合計約674マイル)。
- 主要犬:トーゴ(最長距離を走破)、バルト(最終区間を導き到着)。
- 遺産:バルトの銅像はニューヨークのセントラルパークに設置され、剥製はクリーブランド自然史博物館で展示。
この出来事は、極寒地での協力と犬ぞり文化の価値を世界に知らしめた歴史的な物語として現在も語り継がれています。

