サリエント(突出)とは:戦術用語の定義とリエントラント・ポケット(包囲)の危険性
サリエント(突出)の戦術的定義とリエントラント・ポケットがもたらす包囲の危険性を歴史例とともに分かりやすく解説。指揮・防衛に必読。
サリエントとは、敵陣に突出した戦場の地形的・配置上の特徴を指します。突出部分は周囲が広く露出しているため、守る部隊は側面や後方からの攻撃に対して脆弱になりやすいのが特徴です。突出した地形は楯状地(盾状地)のように三方を敵に囲まれることもあり、その結果、占領部隊は攻撃に対して不利になります。突出部に面する敵の陣地はリエントラント(内側に向いた角度)と呼ばれます。突出が深く、基部(突出部と本隊をつなぐ狭い付け根部分)が細いと、基部を横切る形での「挟み撃ち」(ピンチャー)に対して特に脆弱になり、基部を断たれると守備側は包囲(ポケット化)される危険があります。第二次世界大戦の「バルジの戦い」は、突出部が敵の反撃により包囲に近い危機に立たされた例としてしばしば引き合いに出されます。
サリエントの戦術的意味合い
サリエントは一方で前進や突破に有利な出発点にもなり得ます。前方へ突出することで敵陣深くに圧力をかけ、敵を左右に分断したり後方へ影響を与えたりすることができます。ただし、突出は同時に以下のような不利も伴います:
- 側面(フランク)や後方からの攻撃に晒されやすい。
- 補給線が延び、維持が困難になる(補給不足や補給路遮断のリスク)。
- 敵からの射撃や砲火に対して斜め(エンフィラード)にさらされやすい。
- 基部を断たれると、突出部の部隊が孤立し包囲される可能性が高まる。
リエントラント・ポケット(包囲)の形成と危険性
「リエントラント・ポケット」は、敵のラインが突出部を向き合い、突出の両側から押さえる形で基部を切断することで生じる包囲空間を指します。包囲が成立すると、内部の部隊は自由行動や補給ができなくなり、戦術的に壊滅する危険があります。包囲の形成手順としては概ね次の流れが多いです:
- 突出の両側面を押し下げるか回り込む形で進攻する。
- 突出の基部を素早く断ち切り、補給路を遮断する。
- 突出内部を縦深に攻撃して敵を殲滅または降伏に追い込む。
歴史的には、突出した部隊が反撃や側面攻撃を受けて包囲されるケースが多く、前述のように「バルジの戦い」などでその危険性が示されました。他にもコースクの突出部(クルスク突出部)や第一次世界大戦の前線突出など、様々な事例があります。
防御側が取るべき対策
守備側はサリエントの弱点を理解し、以下のような対策を講じます:
- 前線の短縮・整理:突出を自発的に縮小し、基部を守りやすい形に整える。
- 予備隊の配備:基部や側面を迅速に支援できる機動予備を確保する。
- 補給路の確保:補給・撤退路を複数用意して遮断リスクを低減する。
- 火力集中:側面からの攻撃を許さないための砲兵・航空支援を準備する。
- 地形や防御構造の活用:遮蔽物や掩蔽陣地を整備し、突出部の露出を減らす。
- 撤退計画の明確化:やむを得ず包囲されそうな場合に備え、秩序ある撤退ルートや縮小計画を持つ。
要塞におけるサリエント
要塞の文脈では、サリエントは防衛のために外側へ突き出した部分を指します。例えば要塞の突出部(バスチオンや出角)は、隣接する面を射撃で相互に支援できるように配置されることが多い一方で、突出部自体が側面からの強力な攻撃や砲撃にさらされると弱点になり得ます。近代以降の要塞設計では、突出部分を過度に露出させない工夫や、突出が孤立しないような連絡路・掩蔽の整備が重要視されてきました。構造の設計次第で、サリエントは有利にも不利にもなります。
まとめると、サリエントは攻めの起点として有効な一方で、その突出性ゆえに基部を切られて包囲されるリスクを常に孕んでいます。指揮官は突出の深さ・幅・補給・予備力を総合的に判断し、攻勢・防御の双方でリスク管理を行う必要があります。
例
- アメリカ南北戦争のゲティスバーグの戦いで、北軍のダニエル・シクルス将軍は命令なしに第三軍団を北軍本隊より先に移動させた。このため、南軍の攻撃で本隊から切り離されそうになった。シクルスは2ヶ月前のチャンセラーズビルの戦いでもキャサリンズ・ファーネスで同じような位置を占めた。どちらの場合も彼の軍団はひどく打ちのめされ、他の部隊に救出されるしかなかった。
- アメリカ南北戦争のスポティルバニアの戦いで、南軍は木材で補強された塹壕線を構築した。塹壕線は高台を保護するために前方に膨らんでいた。この曲線は、ミュール・シュー・サリエントとして知られるようになった。北軍はこの地点に攻撃を集中させた。22時間の白兵戦の後、彼らは突破した。南軍は新しい陣地に引き揚げた。
- 第一次世界大戦で、イギリス軍は戦争のほとんどの期間、イーペルの大規模な塹壕を占拠していた。第一次イーペルの戦いの結果形成されたこの戦線は、西部戦線で最も血なまぐさい戦域の一つとなった。イギリス歩兵が「サリエント」といえば、イーペルのことだと理解されていた。
- フランスの都市ヴェルダンにも同じような岬があった。このヴェルダンの戦いは、両軍に多大な犠牲を強いることになった。
- また、第一次世界大戦では、ドイツ軍はフロメールの前にある小さな岬を占領した。その特徴的な形からシュガーローフと呼ばれた。
- 第二次世界大戦で、ソ連はクルスクの深さ150kmの巨大な塹壕を占領した。ここは史上最大の戦車戦の舞台となり、東部戦線の決定的な戦いとなった。
- 第二次世界大戦中、ドイツ軍はアルデンヌ地方で進攻する連合軍に対して奇襲攻撃を仕掛けた。バルジの戦い」(「アルデンヌ攻防戦」「フォンルントシュテット攻防戦」とも呼ばれる)と呼ばれる。
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