概要
セレカ(現地の言語では「連合」や「同盟」と訳されることが多い)は、2012年から2013年にかけて中央アフリカ共和国(CAR)で台頭した、ゆるやかな武装組織の連合体だった。バンギの政府に対する共通の反発で結び付いたこの集団は、さまざまな民兵組織を束ね、2013年3月に当時の政権を打倒することに成功した。最も重要な政治的人物はミシェル・ジョトディアで、首都陥落後に自ら大統領を名乗った。運動の構成、思想、行動は一様ではなく、多くの戦闘員は北部や東部のムスリム共同体から集まっていた一方で、地域的・民族的に多様な要素を含んでいた。
起源と組織
セレカは、それまで独立していた複数の反政府派閥が中央政府への攻勢を調整する中で形成された。連合は、強固な制度に支えられたものではなく、むしろ実利的な協力関係だった。異なる指導者、目的、指揮系統を持つ部隊が寄り集まっており、単一の指導部のもとに権限を集中させようとする試みは限定的だった。国家権力を掌握した後、この連合は急速に分裂した。ある指揮官は政治的地位を求め、別の者は地域的活動や犯罪化した活動へ戻り、多くの戦闘員は正式な指揮系統の外にとどまった。
2013年3月の政権掌握と直後の混乱
2013年3月下旬、セレカ部隊はバンギに進攻し、フランソワ・ボジゼ大統領を追放した。運動の主要な窓口であったミシェル・ジョトディアは移行政権の設置を宣言し、大統領に就任した。しかし、権力の掌握は秩序回復を意味せず、むしろ多くの地域で暴力、略奪、無法状態の波を引き起こした。人権監視団体や国際的な観察者は、セレカの構成員に対して、違法な殺害、違法拘禁、性的暴力、略奪などの重大な虐待を指摘した。混乱と、この紛争が宗派対立的に見なされたことも、主としてキリスト教徒とアニミストの共同体から形成されたアンチ・バラカ民兵の台頭を招き、これらの民兵はムスリム民間人への報復攻撃を行った。
分裂、国際的対応、政治変化
国内の分裂と国際的圧力により、1年以内に政治的変化が生じた。ミシェル・ジョトディアは、交渉による退任を求める地域的・国際的な要求の中で辞任し、移行政権が整えられた。その一方で、国の安定化のために国際部隊が展開した。地域のアフリカ連合部隊、続いて国連平和維持ミッション(MINUSCA)、さらにフランス軍の関与が、暴力の抑制と民間人保護を目指した。武装解除、動員解除、社会復帰の取り組みも進められたが、多くの元セレカ戦闘員は新たな武装集団や犯罪ネットワークへ散っていった。
人権、司法、遺産
セレカの行動記録は、現在も続く責任追及の取り組みの中心にある。国内外の調査官は、さまざまなセレカ派閥に帰せられる虐待のパターンを記録し、一部の指揮官や戦闘員は法的手続きに直面している。とりわけ、元セレカの民兵マハマト・サイードに対する訴因確認手続きが、2013年から2014年に行われたとされる人道に対する罪と戦争犯罪の容疑で、2021年10月に国際刑事裁判所で始まったことは、この紛争に対する国際的な監視における節目となった。セレカの遺産は、なお続く不安定、共同体の避難、そしてCAR全体に広がる共同体間関係の緊張として今も見て取れる。
主な特徴と注目点
- セレカは単一の統一軍ではなく、変化する同盟関係と指導体制を持つ複数組織の連合だった。
- この運動の台頭は、長年の統治の不備、地域的周縁化、そしてCAR北部・東部の不満と結び付けられることが多い。
- その行動は、2010年代半ばのCAR紛争を特徴づけた宗派的な分極化と、アンチ・バラカ民兵の形成に直接つながった。
- 国内外の責任追及の प्रक्र程は、セレカ構成員によるとされる犯罪への対応を続けている。
セレカの形成、政治力学、関連する法的手続きについてさらに知るには、地域・国際機関や人権団体による詳細な報告や時系列を参照するとよい。形成と組織、人権記録、国の背景と平和維持、国際司法手続きを参照。