雅歌(ソロモンの歌・カンティクル)とは|ヘブライ聖書のメギロート解説
雅歌(ソロモンの歌)とは?ヘブライ聖書のメギロートに属する詩篇を歴史・文学・宗教の視点でわかりやすく解説し、愛の歌の背景と解釈を網羅。
ヘブライ語聖書(タナフ)、およびキリスト教聖書旧約聖書の一冊。5つのメギロット(巻物)のうちの1つである。また、『ソロモンの歌』や『カンティクル』とも呼ばれる。セプトゥアギンタではAismaと呼ばれ、これは῏Αισμα ᾀσμάτων, Aisma aismatôn, ギリシャ語で「歌の歌」の略称である。
概要と構成
雅歌(雅の歌、Shir HaShirim)は古代ヘブライ語で書かれた叙情詩集で、全部で8章からなる。主として男女の恋愛を描いた詩が並び、直接的・感覚的な恋愛描写や自然描写(ぶどう園、ライオン、鹿、香料、庭園など)を特徴とする。複数の声(恋人たちや合唱、語り手)が交互に現れる対話形式や独白が混在し、詩的な比喩と並列構造(ヘブライ詩の特徴)を多用している。
タイトルと伝統的帰属
ユダヤ教・キリスト教ともに伝統的にはソロモン王に帰せられ、「ソロモンの歌(Song of Solomon)」とも呼ばれる。しかし、学術的には複数の詩を編纂した可能性や、成立時期・成書過程について諸説があり、成立年代は紀元前10世紀から紀元前2世紀のどこかに位置するとする説など、研究者の間で幅がある。
聖書内での位置と典礼的利用
ユダヤ教では雅歌は5つのメギロット(巻物)の一つに数えられ、伝統的には過越の祭(ペサハ)に朗読されることが多い。朗読と注解を通して、ラビ文学では表面的な恋愛描写を民族と神との関係(イスラエルと神)のアレゴリーとして解釈する伝統が定着した。キリスト教圏でも初代教父から中世にかけて、キリストと教会(あるいはキリストと魂)の愛の象徴として受け取られてきた。
解釈の多様性
- アレゴリカル解釈:ラビ文学や多くの教父(例:アウグスティヌス等)は、雅歌を神と人間(ユダヤ民族、あるいはキリストと教会)の霊的な愛として読み解いた。
- 素朴・歴史的解釈(叙情詩としての実存的読み):文字通りの恋愛詩、あるいは婚礼歌や性の礼賛として読む立場。中世の注解者の中でも、例えばイブン=エズラは比較的素朴な解釈を支持したとされる。
- 学術的批評:近現代の聖書学では、異なる時代の詩の編集、口承詩の集積、宗教的・儀礼的背景などを指摘する研究が多い。フェミニスト批評、文学的・文化的人類学的読みも盛んである。
言語・文学的特徴
原典は古典ヘブライ語で、豊かな自然イメージ、感覚的な比喩、繰り返しや反復的表現が特徴。性愛表現は率直でありながら詩的装飾が施され、シンボリズムやメタファーの層が深い。構成上は明確な章立てこそあるが、内部での声の入れ替わりや断片的な体裁から、編集過程を示唆する箇所もある。
翻訳と受容史
セプトゥアギンタは古代ギリシャ語での翻訳名としてAisma(῏Αισμα ᾀσμάτων)を用い、ラテン語では Canticum Canticorum(カンティクル)と訳された。これらの希・拉訳はキリスト教圏での受容と解釈に大きな影響を与え、ルネサンス以降の詩人や文学者にも繰り返し引用されてきた。
現代的意義
現代では雅歌は宗教的な注解だけでなく、文学・文化研究、ジェンダー研究、フェティシズムやエロティシズムの研究対象ともなっている。また、結婚式や愛を語る場で引用されることも多く、宗教的・世俗的いずれの文脈でも広く読み継がれている。
補足(注目すべき点)
- 章数:8章から成る。
- 主要登場人物:一般には「恋する女性(乙女)」「恋する男性(恋人)」、合唱(娘たち)など複数の声がある。
- 注解伝統:ラビ注解、キリスト教教父の注解、中世ユダヤ学者(ラシ、イブン=エズラなど)やカバラ的解釈、近現代の学術的注解が存在する。
雅歌は、その官能的で詩的な表現ゆえに古来から論争と尊崇を呼んできた書であり、宗教的象徴性と純文学としての価値が重層的に重なり合う貴重なテクストである。
著者と日付
1節には「ソロモンの歌」とあるので、作者がソロモンであることがわかるようだが、これは単にソロモンのための、あるいはソロモンについての歌という意味もある。では、『Song of Songs』の作者は誰なのかということは、今でもよく議論される問題である。
ソロモンが書いたとすれば、ソロモンが王であった紀元前10世紀ごろに書かれた可能性が高い。実際、ティルザとエルサレムの町があまりに近くにあることから(6:4)、ティルザがなぜ語られたのか、いまだに正確には分かっていないにもかかわらず、オムリ王(紀元前885〜874年)以前に書かれたと言う人がいる。しかし、「歌」の中の言葉は、もっと後に書かれた証拠だとも多くの人が言っています。
多くの人は、言葉、文体、調子(雰囲気)、視点、繰り返される言葉が似ていることから、一人の作者によって書かれたものだと考えている。しかし、この歌が一人の人間によって書かれたとは考えず、また一つの時代や場所から書かれたとも考えない他の人々は、この歌のすべての部分が同じ文学的伝統から生まれたからだと言っている。
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