トゥトメス2世Thutmosis、またはTuthmosis II、トトの子という意味)は、エジプト第18王朝の第4代ファラオである。一般に紀元前1493年から紀元前1479年ごろまで統治したとされるが、在位年数については資料によって多少の差異があり、実際の在位期間については学界で議論が残る。トゥトメス2世は小規模な建築事業やいくつかの軍事遠征を行った記録があり、やがて王妃で後に摂政・共同統治者、さらに女王として台頭するハトシェプストの影響下にあったと考えられている。

出自と家族

トゥトメス2世は先代トゥトメス1世の息子とされるが、母方や出生に関する詳細は不明な点が多い。王家内の婚姻関係により、彼はしばしば近親婚によって正統性を保持した。最も有名な配偶者はハトシェプストで、彼女は後に強力な政治的実権を握り、長期間共同統治または実権掌握を行った。王位継承では、後に有力な軍事王となるトゥトメス3世が登場するが、彼は主に側室の子として知られる。

治世と軍事

トゥトメス2世の治世は、記録上は比較的平穏で短期間とされ、小規模ながらヌビア方面や北部の国境地域での軍事行動が行われたと伝えられる。これらは大規模な征服戦争というよりも、国境警備や反乱鎮圧に近い性格のものであった可能性が高い。王自らが前線で指揮をとったか、あるいは側近に軍務を委ねたかについては不確実だが、軍事的成功を誇示するような大きな記念碑は少ない。

建築事業と遺物

トゥトメス2世は大規模なモニュメント建設を行わなかったが、カルナック神殿をはじめとする既存の宗教施設への小規模な増築や奉献碑を残している。特にアメン神殿の一部に寄与した記録や、王名を刻んだ小さな礼拝所・碑文が知られている。こうした遺物は、在位中の王権の正当性の主張や宗教的奉仕の一環と理解されている。

死と遺骸の発見

トゥトメス2世は比較的短い治世の後に没し、その遺骸は後世に改葬されたと考えられている。遺体はハトシェプスト女王の葬祭殿の上にあるデイル・エル・バハリにある王家のキャッシュ(隠匿埋葬)で発見され、現在はカイロにあるエジプト博物館で一般に公開されていることが知られている(現在展示されている場所については博物館の展示替え等で変動する場合がある)。具体的にはトゥトメス2世の遺体は多くの王の遺骸とともに発見され、その保存状態や副葬品から古代の副葬習慣や改葬の実態について多くを示している。現在、カイロのエジプト博物館で見ることができる。

歴史的評価

歴史的には、トゥトメス2世は目立った業績で知られる王ではなく、むしろハトシェプストやトゥトメス3世といった同時代・後継者の台頭によって相対的に影が薄く見られることが多い。しかし、彼の在位が王権の継承と王家の安定をつなぐ役割を果たし、その子孫や配偶者による政策・建築・外交の基盤を維持した点は重要である。考古学的遺物や碑文の研究は進行中であり、今後さらに彼の治世の詳細が明らかになる可能性がある。

補足:「トゥトメス(Thutmose)」は古代エジプト語で「トト(神)から生まれた者」という意味を持ち、トト神(学問と月の神)にちなむ王名である。