トゥトモス1世(Thothmes, Thutmosis, Tuthmosis I, Thoth-Bornの意)は、古代エジプト第18王朝の第3代ファラオである。彼はアメンホテプ1世の死後、ファラオになった。治世の初期から軍事・行政・宗教の各方面で積極的に行動し、後の新王国時代の基盤を築いた王と評価されている。
治世と軍事遠征
トゥトモス1世は軍隊を組織して、南方のヌビアと北東方のレバントへ遠征を行い、エジプトの国境を拡大した。遠征によってヌビア方面では金鉱や交易路の確保を進め、第四急流(フォース・カタラクト)付近まで勢力を伸ばしたとする史料や碑文が残る。レバント方面ではシナイやパレスチナ北部に進出し、戦略的拠点や前線城塞を整備して国境の防衛と商業路の保護を図った。これらの遠征は軍事的な勝利だけでなく、資源の確保と外交的影響力の拡大にも寄与した。
建築事業と宗教的施策
トゥトモス1世は多数の神殿と祭儀施設を建設・修復し、特にアメン神への信仰を基盤とする宗教的事業に力を注いだ。カルナック(テーベのアメン神殿群)での増築や奉納品の記録が残り、王権の神聖性と神殿経済の強化を図った。これにより第18王朝の宗教的権威が高まり、後の王たちがカルナックを拡張する伝統が確立した。
墓と王家の谷の創設
トゥトモス1世は、王家の谷に自分の墓を作ったとされ、王家の谷が古代エジプト王の主要な埋葬地として用いられる先駆けとなった。この点についてはアメンホテプ1世も同様の先例を持っていた可能性が指摘されるが、トゥトモス1世以降、王家の谷が系統的に王墓の場所として定着していくきっかけとなったことは明らかである。後世には王墓の改葬や増築が行われ、娘のハトシェプストや孫のトゥトモス3世などが父王の埋葬や記念事業に関与した記録が残る。
出自と継承
トゥトモス1世の出自については議論があり、王位は血統だけでなく軍事的能力や王妃との婚姻関係によって継承された可能性が示唆されている。彼の死後、息子のトゥトモス2世が王位を継ぎ、さらにその後に娘のハトシェプストが事実上の支配者(後に正式にファラオとして称された)となった。ハトシェプストは父の記念事業を継承・拡充し、王家の権威を高めた。
年代問題と研究
トゥトモス1世の治世年代は伝統的に紀元前1506年から1493年とされるが、学者によっては紀元前1526年から紀元前1513年とする人もいる。これは、古代エジプトの日付を算出する際に用いられる天文観測(例:シリウスの出現など)がどの観測地点に基づくかで差が生じるためである。もし、観測がメンフィスで行われた記録に基づくならば、観測がテーベで行われた場合より約20年早くなるという問題がある。こうした年代決定の不確実性は、史料の断片的性質と地域差に起因する。
史料と評価
トゥトモス1世についての知識は、神殿碑文・戦功碑・王墓の壁画・後代の王表(王名表)などに基づく。考古学的発見や碑文の解読により、彼の軍事的成功、建築事業、王権の強化が裏付けられてきた。現代のエジプト学では、トゥトモス1世は第18王朝初期における拡張と国家形成の重要人物と位置づけられている。
トゥトモス1世の具体的な事績や墓の所在、遠征の規模などについては現在も研究が続いており、新たな発掘や碑文の再解釈によって理解がさらに深まる可能性がある。




