ウルク — 世界最古級の古代メソポタミア都市:ウルク時代とギルガメッシュ
ウルク — 世界最古級の古代メソポタミア都市の興亡とウルク時代、伝説の王ギルガメッシュの物語を詳解。
ウルク(Uruk)はシュメールおよびその後のバビロニアの古代都市で、現在のイラクにあった代表的な遺跡の一つです。位置は古代のユーフラテス川の旧河床の東側にあり、近代では「ワルカ(Warka)」として知られています。ウルクはメソポタミア文明の初期都市化と国家形成において中心的な役割を果たしました。
位置と年代
ウルクの発展は、メソポタミアの初期のカルコ石器時代から、初期青銅器時代(紀元前約4000年〜3100年頃)にかけての「ウルク時代」と密接に結び付いています。ウルク時代は都市化の進展、社会の階層化、筆記(原始的な楔形文字の萌芽)など多くの重要な変化が起きた時期です。都市としての最盛期は紀元前4千年紀後半から紀元前3千年紀初頭にかけてで、紀元前2900年頃には面積約6km2の城壁で囲まれた区域に5万〜8万人が住んでいたと推定されており、当時の世界最大級の都市でした。
都市の構造と文化的特徴
- 地区構成:ウルクは宗教中心のエアンナ(Eanna)地区やアヌ神殿などの神殿複合と、市民居住・工房地区に分かれていました。エアンナはイナンナ(イシュタル)崇拝の中心地として栄えました。
- 建築と防御:城壁や大型の公共建築、神殿基壇などの石造・レンガ造建築が見られ、計画的な都市空間が形成されていました。
- 筆記と事務:ウルクで見つかった粘土板や原始的な楔形文字の前身となるピクトグラム(原符号)は、行政記録や取引のための書記技術の発展を示します。これが後の楔形文字へとつながりました。
- 物資流通と交易:金属器、石材、塩、木材などの長距離交易ネットワークが形成され、メソポタミア内外(アナトリア、イラン高原、ペルシア湾域など)との交易が行われました。
- 美術工芸:円筒印章、象牙細工、陶器などの高度な工芸品が作られ、図像表現や宗教的モチーフが発展しました。
ギルガメッシュと歴史的役割
シュメール王名表などの伝承によれば、紀元前27世紀頃に半神話的な王ギルガメッシュがウルクを治めたとされます。叙事詩「ギルガメシュ叙事詩」はウルクを舞台の一つとして描き、都市の宗教的・政治的中心性を物語っています。ウルクは宗教儀礼、王権の正当化、文化的発信地として長期間にわたって重要でした。
衰退とその後の居住
ウルクの重要性は、紀元前2千年紀ごろの諸勢力(たとえばエラムや周辺の王権)との紛争や政治的変動によって徐々に低下しました。以後も断続的に居住が続き、セロイコ朝やパルティア朝時代を含む後代にも地域的な拠点として用いられましたが、最終的にはサッサン朝末期からイスラム勢力の拡大に至る時期(イスラムによる征服の直前)に至って放棄されたと考えられています。
考古学調査と遺跡の保存
ウルクの遺跡は19世紀半ばにヨーロッパの探検家らによって再発見され、その後、発掘調査が行われました。以降、ドイツやイギリス、イラクの考古学調査隊などによって大規模な発掘が行われ、都市計画、神殿群、粘土板群、円筒印章など多数の出土資料が明らかになりました。遺跡は風化や盗掘、近代の環境変化の影響を受けており、保存と記録の取り組みが継続しています。
なお、下部メソポタミアの地名であるアル=イラク(al-ʿIrāq)は、古代都市ウルク(Uruk)の名に由来すると考えられる説があります。
ウルクは都市化、文字の発生、王権と宗教の結びつきなど、古代西アジア史を理解するうえで極めて重要な遺跡です。考古学的資料は現在も研究が続けられており、今後も新たな知見が期待されています。

ウルクからカラインダシュのイナンナ神殿の前面のレリーフペルガモン博物館(ベルリン
質問と回答
Q:ウルクはどこにあるのですか?
A: ウルクは現在のイラクにあり、ユーフラテス川の現在の河床の東側、古代の乾燥したユーフラテス川の旧流路上にあります。
Q: ウルク時代とはどのような時代ですか?
A: ウルク時代とは、メソポタミアにおける石器時代初期から青銅器時代初期のことで、紀元前4000年から紀元前3100年頃のことです。
Q:ウルクはシュメールの初期の都市化にどのように貢献したのですか?
A: ウルクは紀元前4千年紀半ばのシュメールの初期都市化において主導的な役割を果たしました。
Q: 最盛期のウルクの人口は?
A: 紀元前2900年頃の最盛期には、6km2の城壁に5万人から8万人の住民が住んでいたと考えられています。
Q: シュメールの王リストによると、ウルクを治めていた半神話の王は誰ですか?
A: シュメールの王リストによると、紀元前27世紀にウルクを治めていたのは半神話の王ギルガメシュです。
Q: ウルクがその重要性を失ったのはいつですか?
A: バビロニアがエラムと争った後、ウルクは紀元前2000年頃にその重要性を失いました。
Q: ウルク遺跡はいつ発見されたのですか?
A: 1849年に発見されました。
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