ウェーブレットとは、ある関数や信号を、より扱いやすい別の基底関数の観点から表現するために用いられる数学的な関数です。多くの信号処理や解析タスクは、ウェーブレット変換の枠組みで自然に表現できます。直感的に言えば、信号をさまざまなスケール(拡大・縮小)や位置で「拡大鏡」で観察することで、特定の時間領域・周波数領域の特徴を分離して解析できます。使用するウェーブレットの形により、どの情報が強調されるかが決まります。
定義と基本条件
ウェーブレットは、通常ヒルベルト空間からの(複素あるいは実数値の)関数として定義されます。例えば次のように記述できます:。実用的なウェーブレットとして扱うためには、少なくとも次の条件を満たす必要があります。
- 有限のエネルギー(平方可積分)を持つこと:
- 許容条件(admissibility condition)を満たすこと。フーリエ変換を \n
とすると、次が成立する必要があります:
(ここで フーリエ変換 を用いています。)
- ゼロ平均(直流成分がゼロ)であること。許容条件からこの性質が導かれます:
こうした条件により、ウェーブレットは時間・周波数の両方で局所化した分析を可能にし、信号の短時間の変化や不連続点を検出しやすくなります。
マザーウェーブレットとそのスケーリング・シフト
特定のウェーブレット関数 ψ を マザーウェーブレット(母ウェーブレット)と呼びます。そこから、平行移動(シフト)とスケーリング(拡大縮小)をかけた一群の関数を作り、信号を展開します。正規化されたシフト・スケール関数は次のように定義されます:
ここで a > 0 はスケール(拡大縮小)パラメータ、b は平行移動(時間シフト)パラメータです。元のマザーウェーブレットは通常 a = 1, b = 0 として表されます。
連続ウェーブレット変換(CWT)と離散ウェーブレット変換(DWT)
ウェーブレット解析には主に二つの流れがあります。
- 連続ウェーブレット変換(CWT):全ての連続的なスケール a と位置 b に対して内積を計算し、時間-スケール平面上での連続的な係数を得ます。時間局所性とスケール(周波数)局所性の両方を解析するのに適していますが、計算量が大きく冗長性があります。
- 離散ウェーブレット変換(DWT):スケールと平行移動を離散化(例えば a=2^j, b=k·2^j など)して効率良く基底を作る手法です。多くの場合直交基底や双正則基底が得られ、フィルタバンク(高域・低域フィルタ)を使った高速アルゴリズムで実装されます。DWTは信号圧縮やノイズ除去に広く使われます。
多重解像度解析(MRA)とフィルタバンク
多重解像度解析は、信号を異なる解像度(粗い近似と細かい詳細)の階層に分解する枠組みです。DWTはこの考えを利用して、逐次的に低域(近似)と高域(詳細)を抽出するフィルタバンク(解析フィルタと合成フィルタ)として実装されます。これにより、効率的な計算と信号の階層的表現が可能になります。
代表的なウェーブレットと性質
- Haar(ハール)ウェーブレット:最も単純で、直交かつ短い支持を持つ。パルス状の変化を検出しやすい。
- Daubechies(ドベシー)ウェーブレット:コンパクトな支持と高次のスムージング特性を持ち、様々な次数(db1 = Haar, db2, ...)がある。
- Morlet(モーレ)ウェーブレット:ガウス窓付き正弦波に近い形で、時間–周波数局所化が良いため CWT にしばしば用いられる。
- Symlet, Coiflet など:応用に応じた位相特性やモーメント(消失モーメント)を持つ設計済みのウェーブレット群。
主な応用分野
- 信号のノイズ除去(デノイジング):詳細係数の閾値処理によりノイズを抑えられます。
- 画像圧縮:JPEG2000 はウェーブレット変換を基にした代表的な画像圧縮方式です。
- エッジ検出・特徴抽出:局所的な変化点やパターン検出に有効です。
- 時系列解析:地震波形解析、エコー検出、機械振動診断などで使われます。
- 生体信号処理:EEG、ECG の解析や異常検出に利用されます。
- その他:データ圧縮、信号の多重解像度表示、時間周波数可視化など幅広い。
まとめ(ポイント)
- ウェーブレットは時間と周波数の両方で局所化された解析を可能にする基底関数です。
- マザーウェーブレットをスケーリング・シフトして得られる関数群で信号を展開します(正規化表現は上記参照)。
- CWT と DWT は用途に応じて使い分けられ、DWT は計算効率や圧縮性能に優れます。
- 実務ではウェーブレットの選択(ハール、ドベシー、モーレなど)とパラメータが解析結果に大きく影響します。
歴史的には、英語の"wavelet"(ウェーブレット)という語は1980年代初頭にフランス語の "ondelette"(「小さな波」)から導入され、Jean Morlet らによって普及しました。ウェーブレット理論は数学的にも実用的にも多くの発展を遂げ、現代の信号処理・データ解析の重要な道具となっています。

