1177年の年表:主な出来事・誕生・死去・国家元首一覧
内容
1 イベント
2 出産
3 死亡
4 国家元首
イベント(主な出来事)
- ヴェネツィアでの和解(1177年) — 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)とローマ教皇アレクサンデル3世の間で和解が成立し、教皇庁との対立が緩和されました。これによりドイツ内外の政治的緊張が一時的に和らぎ、皇帝の対外的立場にも影響を与えました。
- モンジサールの戦い(1177年11月25日) — 十字軍国家のエルサレム王バルドゥイン4世(通称:らい病王)率いる軍が、エジプト・シリアを支配するサラディンの軍をモンジサール近郊で破りました。この勝利はラテン王国側にとって重要な戦果であり、サラディンの進撃を一時的に阻止しました。
- 地中海・中東の勢力図の動き — 上記の戦いや外交によって、十字軍諸国、アイユーブ朝(サラディン)、東ローマ帝国、イタリアの海洋都市国家などの関係がさらに複雑になり、以後の戦闘と同盟形成に影響を与えました。
- ヨーロッパ各地の地方政治 — この時期は各地で封建領主と王権、教権の力関係が流動的であり、小規模な戦闘や協定、婚姻を通じた領土交渉が続いています。特定の小地域の出来事は年代記・地方史に細かく記録されています。
出産(1177年の主な誕生)
1177年に生まれた人物の記録は史料により不確かな点もあります。以下は代表的に挙げられる人物(生年に諸説あり)です。
- (注)主要な王侯や宗教指導者の確実な「1177年生まれ」の記録は限られるため、詳細は各国の年代記や系譜を参照してください。
死亡(1177年の主な死去)
- 当年に亡くなった重要人物は地域史に散見されますが、中央集権的な大国の君主級では大きな交代が少ない年でもあります。各地の修道院記録や年代記を参照すると、当時の有力貴族や聖職者の死没が確認できます。
国家元首(1177年当時の主要な君主・指導者)
- 神聖ローマ皇帝: フリードリヒ1世(バルバロッサ) — 皇帝(在位:1155年–1190年)。1177年には教皇との和解を果たし、対外政策に重要な転換点がありました。
- 教皇: アレクサンデル3世(在位:1159年–1181年) — ローマ教皇。皇帝との対立後、和解により教皇権の回復を図りました。
- イングランド王: ヘンリー2世(在位:1154年–1189年) — プランタジネット朝の君主で、法制整備や領土拡大を進めていました。
- フランス王: ルイ7世(在位:1137年–1180年) — 中世フランス王国の王。1180年に崩御し、後を継いだのはフィリップ2世。
- 西ローマ帝国(ビザンツ帝国): マヌエル1世コムネノス(在位:1143年–1180年) — 東地中海で積極的な外交・軍事行動を行っていた皇帝。
- シチリア王: ギュイーム(ウィリアム)2世(在位:1166年–1189年) — シチリア王国の統治者で、地中海情勢に影響を及ぼしました。
- スコットランド王: ウィリアム1世(在位:1165年–1214年) — 「ウィリアム獅子王」。イングランドとの関係が注目される時期でした。
- 日本の天皇: 高倉天皇(在位:1168年–1180年) — 平安時代末期。武士勢力の台頭が進んでいた時代です。
- 宋(中国)の皇帝: 孝宗(趙惇、在位:1162年–1189年) — 南宋の君主で、内政・文化が比較的安定していた時期です。
- エルサレム王: バルドゥイン4世(在位:1174年–1185年) — らい病を患いながらも十字軍国家を指導し、サラディンとの抗争の中で重要な役割を果たしました。
補足と参考
1177年は地域によっては重要事件の転換点となる年でしたが、史料の偏りにより詳細は地域史や年代記で差があります。ここに示した出来事・人物は、主要な国際史や中世史の一般的な概観に基づくものであり、地方史の細部や諸説については専門文献を参照してください。
イベント
- 11月25日 - エルサレム公バルドウィン4世とシャティロン公レイナルドがモンギサールの戦いでサラディンを倒す。
- 安元3年、京都が大火に見舞われる。
- ベネディクトゥス・アッバがピーターバラ大修道院長になる。
- ヨークシャーでシトー派によるバイランド修道院の設立が始まる。
- カシミール2世がポーランド公となる。
- チャム族はクメールの首都アンコール・ワットを略奪する。
- ロジェ・ド・ムーランがホスピタール騎士団のグランド・マスターになる。
- モスクワが焼け野原になる。
- アラゴン家のアルフォンソ2世によりプイセルダが設立される。
- レオポルト5世がオーストリア公となる。
- 9月27日 - 教皇アレクサンドル3世がプレスター・ジョンの実在を信じ、手紙を送る。
- ヴェネツィア条約 - フリードリヒ1世バルバロッサ、アレクサンドル3世をローマ教皇として受諾
- エストニアが冬にプスコフを攻撃。
出生数
- エルサレムの王、ボールドウィン5世(1186年没)。
- ロバート・ド・ロス イギリス男爵(1226年没)
- シュヴァーベン公フィリップ、神聖ローマ皇帝オットー4世の敵(1208年没)。
死亡者数
- 1月13日 - オーストリア王国のヘンリー2世(1107年生)
- モンフェラットのウィリアム、ヤッファとアスカロンの伯爵、エルサレムのボルドウィン5世の父(1140年代前半に生まれる)
- 第1代ノーフォーク伯爵 ヒュー・ビゴッド(1095年生)