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311年(ユリウス暦の平年)

311年(CCXI)は、ユリウス暦で月曜日に始まる平年。ローマ帝国での寛容令と、中国における西晋滅亡期の洛陽陥落が主な出来事である。

311年は、ローマ数字でCCXIと表記され、ユリウス暦では月曜日に始まる平年であった。この年は一般に古代後期と呼ばれる時期に属し、ローマ世界では政治的再編が進み、中国の北方辺境では劇的な動乱が起きていた。311年は、ローマ帝国におけるキリスト教の法的地位に影響した出来事と、中国の晋王朝にとって重要な都市の一つが崩壊した出来事によって記憶されている。

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主な出来事

311年のいくつかの展開は、宗教および帝国の権力構造に長期的な影響を及ぼした。

  • ローマ帝国東部では、皇帝ガレリウスが、自らの支配下の地域におけるキリスト教徒への公的な迫害を終結させる勅令を発した。この措置はキリスト教の存在が拡大していることを認め、信徒が国家公認の処罰を受けずに信仰を実践することを認めた。
  • 四帝統治期の体制の内部では政治的不安定が続き、対立する帝位請求者や地方の支配者が優位を得ようと策動した。この年には同盟関係の変化がみられ、それは310年代にさらなる覇権争いへとつながった。
  • 中国北部では、匈奴が主導した漢趙の軍勢が晋の都・洛陽を占領した。この略奪はしばしば永嘉の乱と呼ばれ、西晋を著しく弱体化させ、中国における長期の分裂と人口移動の時代に寄与した。

意義と背景

ローマ帝国東部の勅令は、断続的な迫害から帝国による寛容、そして最終的なキリスト教への優遇へと移行する過程における重要な画期である。キリスト教はまだ国教ではなかったが、この法的な猶予により、キリスト教徒はより公然と組織化できるようになった。中国では、洛陽の陥落が転換点となった。中央の都の喪失は中国北部のさらなる分裂を促し、大規模な人口の南方移動を引き起こして、その後数十年にわたり中国の政治地理を変化させた。

主な人物と結果

  • ガレリウス — バルカン半島のローマ皇帝であり、自らの領域で迫害を終わらせる勅令を発した人物。311年の後半に死去し、政治的変化を加速させた。
  • 晋王朝の支配家系 — 洛陽の喪失によって決定的な軍事的後退を被り、皇帝権力は弱体化した。これにより北方における後継政権の成立への道が開かれた。

直接的な政治を超えて、311年は古代後期における変化の相互に連関した性格を示している。ローマ世界の法的改革と東アジアの軍事的崩壊は、それぞれ宗教的・社会的・人口学的変化の長期的な流れに寄与した。年代上の参照として、311年はキリスト教徒へのローマの迫害の衰退と、中国の五胡十六国時代の初期段階をたどる際に、歴史家によってしばしば取り上げられる。

関連項目

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AlegsaOnline.com 311年(ユリウス暦の平年)

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