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紀元前390年|ローマ略奪と古典期世界の出来事

紀元前390年は、伝承上のガリア人によるローマ略奪、ローマの政務官記録、ギリシア・ペルシア・中国世界における広範な動向で知られる古典期の年。

紀元前390年は、近代の西暦紀年法において古典期の1年を示すために用いられる年代標識である。当時のローマでは、この時期は数字による年ではなく政務官の名によって記録された。現存するローマの記録では、アンブストゥス家およびコルネリウス家の構成員を含む複数の政務官による「軍事護民官の年」と呼ばれている。後代のローマの計算では、建国紀元364年(Ab urbe condita)と算定されることもあった。

主な出来事と歴史的背景

  • イタリアとローマ:ローマの伝承において、この年に結び付けられる最も著名な出来事は、アッリア川でのローマ軍の敗北と、それに続くガリア人連合によるローマ市の占領・略奪である。古典史料は、侵入者の指導者を、しばしばブレンヌスと呼ばれるガリア人の首長としている。古代の物語は、この事件がローマに与えた衝撃と、長期的な政治的・軍事的影響を強調する。現代の歴史家は古代の年代記には相違があり、略奪を数年後に置く者もいると指摘するが、伝統的な年代は広く引用され続けている。
  • ギリシアと東地中海:ギリシア世界はペロポネソス戦争後も政治的に分裂した状態にあった。都市国家は同盟関係の変更と局地的な紛争を続け、スパルタやアテナイなどの大国は影響力の維持または回復を図った。紀元前5世紀後期から同4世紀初期の支配者のもと、アケメネス朝ペルシア帝国はイオニアおよびアナトリアの問題に引き続き影響力を行使していた。
  • 東アジア:中国では、この年は東周時代に当たり、地域諸国は戦国時代と呼ばれる時代を特徴付ける過程と戦争に関与していた。大陸各地で支配者たちは、後の数世紀を形作ることになる軍事・行政・経済上の改革を試みていた。

暦、年代記と史料

当時のローマ人はユリウス暦以前の暦を用い、毎年選出される公職者、すなわち執政官、または一部の年には軍事護民官の名で年を呼んだ。後代のローマの歴史家は、古い名簿を都市の伝統的建設年から数える制度、すなわち建国紀元へと換算した。「紀元前390年」という表記は、中世ヨーロッパで西暦紀元が採用された後に導入された遡及的な慣例である。古代の年代記作者と後代の筆写者は、時系列や在位年について異なる見解を示すことがあり、とりわけ数世紀後に記録された出来事では、個別の出来事の正確な年代を確定できない場合がある。

影響と遺産

ガリア人の侵入と略奪は、ローマおよびギリシアの著述家が伝えるところによれば、ローマの歴史的記憶に永続的な文化的影響を残した。後代の伝承では、軍事組織の急速な整備、都市周辺の防備の変更、北方の部族による侵入からイタリアを守ろうとするローマの決意の強まりと結び付けられることが多い。物語に含まれるすべての細部が正確であるかどうかにかかわらず、この事件は、後代のローマ史家が記録した初期共和政の歴史における重要な転換点を示す。

この年に関する一次史料・二次文献での扱いをさらに調べるには、ユリウス暦以前のローマ暦および西暦紀元の解説を参照されたい。これらの項目は、古代および中世の年代記法が、歴史家が用いる現代の年代標識とどのように異なるかを説明している。

関連項目

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