西暦476年はユリウス暦の閏年であり、古代と中世を分ける便利な区切りとして長く用いられてきた、イタリアでの政治的断絶で広く記憶されている。この年は、若き皇帝ロムルス・アウグストゥルスの退位と、ゲルマン系指揮官オドアケルの台頭と結び付けられることが最も多い。
主な出来事
476年9月、父であり将軍でもあったフラウィウス・オレステスによって即位させられた少年皇帝ロムルス・アウグストゥルスは、ゲルマン系傭兵の連合を率いるオドアケルによって退位させられた。オドアケルは新たな西方皇帝を立てるのではなく、イタリアを王として統治する道を選んだ。伝えられるところでは、帝国の徽章を東ローマ皇帝ゼノンに返還し、西方に独立した皇帝権威はもはや不要だという立場を示した。
背景と直後の影響
この退位は、長年にわたる政治的分裂、たび重なる侵入、そしてローマ軍が「蛮族」系の連合軍に依存したことの結果として起きた。476年までに西方属州の中央統制はすでに弱体化しており、地方の軍事指導者、ゲルマン系諸王国、有力者たちが実際の権力の大半を握っていた。オドアケルの掌握によりイタリアには新しい政治体制が生まれたが、その支配の下でもローマの行政制度、法、文化的慣行の多くは続いた。
意義と歴史学
歴史家はしばしば476年を、西ローマ帝国の慣習的な終わりであり、西ヨーロッパにおける中世の象徴的な始まりとして挙げる。ただし現代の研究は、断絶だけでなく継続性も重視する。ローマ法、都市生活、教会、そして東ローマ(ビザンツ)国家は存続し、適応していった。変化は段階的だったのであり、移行を捉えるには別の年代や別の過程のほうが適切だとする研究者もいる。
その他の注目点
- 暦法: 476年はユリウス暦では閏年であり、4年ごとに閏日が追加された。
- 数: 整数としての476は 2^2 × 7 × 17 に因数分解できる。
- 遺産: この年は現在も学校教育や通俗歴史で重要な焦点であり、時代区分や古代の終わりをめぐる議論で頻繁に取り上げられる。
この年に関する出来事や議論の概要と追加の参考資料については、476年を参照。