エドガー・アセリング(エドガー・ザ・エイスリング、約1051年頃〜約1125〜1126年)は、1066年の混乱期にイングランドの王位に推された人物です。混乱した情勢の中で一時的に王と宣言されたことはありますが、正式に戴冠して統治したわけではありません。彼はエドマンド・アイアンサイドの孫にあたり、イギリス人の間で正統な血筋として支持を受ける候補者でした。
生い立ち
エドガーはおそらくハンガリーで生まれました。これは父が長年の亡命していたためで、父はエドワード亡命(いわゆるエドワード・ザ・エグザイル、Edward the Exile)として知られています。父子は1057年にイングランドへ帰国しましたが、父は帰国後まもなく謎の死を遂げ、若いエドガーは本国での支持基盤を持たずに育ちました。家族の逃避と帰還は、当時の政治的混乱――一部には昔のノルマン・ヴァイキング期の影響も指摘される――と深く結びついていました(参照:ヴァイキングの)。
1066年の王位請求とその直後
1066年、エドワード懺悔王が没した後の王位継承争いで、まずはハロルド・ゴドウィンソン(ハロルド2世)が選ばれました。しかしハロルドがヘイスティングズの戦いで戦死すると、王を選ぶ大会(ワイトナ)で若年のエドガーが王位に推される場面がありました。重要なのは、エドガーは「王に推された」ものの戴冠されず、実際の統治権を握ることはなかったという点です。ノルマン人指導者ウィリアム(後のウィリアム1世)の侵攻と軍事行動により、エドガー側に十分な力や支持が集まらなかったためです。
その後の生涯
- 王位を確立できなかった後、エドガーは抗戦と和解を繰り返しました。ノルマン征服に抵抗する諸勢力や、スコットランド王と結びつくこともあり、北部での反乱に関与した時期もあります。
- 最終的にはノルマン王朝とある程度和解し、ウィリアムの息子たちのもとで比較的穏やかな立場に落ち着いた時期もありました。後年はウィリアム2世やヘンリー1世の宮廷に出仕した記録が残っています。
- 生没年は確証がなく、おおむね1120年代中頃に没したと考えられており、最新の史料では1125年頃まで名前が確認され、1126年頃に没した可能性が指摘されています。
評価と影響
エドガー・アセリングは「正統な系譜を持ちながらも時勢に翻弄された若い有力者」として歴史に記憶されています。彼の事例は、戴冠や実際の支配力が伴わなければ王と呼べないこと、また王位継承が必ずしも血筋だけで決まらないことを示す典型です。若年であったために独立した政権を打ち立てられなかったものの、ノルマン征服後も政治的に重要な存在であり続けました。
参考:エドガーの生涯は断片的な史料に頼る部分が多く、細部には諸説があります。ここで挙げた年次や出来事は、現在の学術的理解に基づく概略です。