グラッドウィン・ジェッブ(1900–1996)|英国外交官・初代国連事務総長代行
グラッドウィン・ジェブ(Hubert Miles Gladwyn Jebb, 1st Baron Gladwyn, GCMG, GCVO, CB, (1900-04-25)25 April 1900-(1996-10-24)24 October 1996)は、イギリスの著名な公務員、外交官、政治家で、初代国連事務総長代理を務めた人物である。国際機関の設立期における事務運営や文書作成に深く関わり、第二次世界大戦後の国際秩序づくりに重要な役割を果たした。
経歴と教育
ジェブは1900年に生まれ、イギリスの名門校で教育を受けた後、オックスフォード大学で学んだ。学識と行政手腕を兼ね備え、若くして外務省(Foreign Office)に入り、国際会議や連合国・国際機関に関連する業務に従事した。外交官としての初期の経験は、後の国際機関運営や多国間交渉での能力の基礎となった。
国連設立への関与と事務総長代理としての役割
第二次大戦終結直後、ジェブは国際連合(UN)設立に向けた準備機関と会議で中心的な役割を担った。1945年のサンフランシスコ会議(United Nations Conference on International Organization)では、事務局の運営に深く関与し、国連憲章の実務的な準備と文書整理を主導した。
国連の公式運営が始まる直後の1945年10月24日から、正式な事務総長が選出され就任するまでの間、ジェブは事務総長代理(Acting Secretary‑General)として暫定的に国連事務局の長を務めた。暫定期においては、国連事務局の組織づくり、事務手続きの整備、加盟国との初期調整など、業務開始に必要な実務を処理し、恒常的な事務総長体制への移行を円滑に行った。
その後の活動と政界での役割
国連での任務後もジェブは外交および政策分野で幅広く活動を続けた。イギリスに戻ってからは公職や外交実務に携わり、後年には貴族に叙されて議会(貴族院)へ参加、政党の一員として国際問題や欧州・外交政策に関する発言や立法上の関与を行った。外交経験を活かして講演・執筆活動も行い、国際協調の重要性を繰り返し訴えた。
業績・評価
- 国際機関の設立期における実務運営能力:サンフランシスコ会議や国連準備機関での実務的貢献により、国連の立ち上げを支えた。
- 多国間協調の推進者:外交官として多国間交渉や国際ルール作りに携わり、戦後の国際秩序形成に寄与した。
- 公共的発言と著述:外交や国際政治に関する著作・講演を通じて、政策形成や世論喚起に影響を与えた。
栄典(略語の説明)
- GCMG:Order of St Michael and St George(バルカン・外交関係等に対する高位勲章)の一級(Knight Grand Cross)。
- GCVO:Royal Victorian Order(王室に関する勲章)の一級(Knight Grand Cross)。
- CB:Order of the Bath(英国の勲章)のコンパニオン(Companion)。
晩年と遺産
晩年は外交と国際問題に関する回顧や評論を通じて、次世代への知見の継承に努めた。1996年に96歳で逝去したが、国連初期の事務運営を支えた功績と、多国間主義を擁護した姿勢は、国際機関と英国外交の近代史における重要な一章として評価されている。
国連事務総長代理
第二次世界大戦後、1945年8月に国際連合準備委員会の事務局長を務める。1945年10月から1946年2月まで、初代事務総長トリグヴェ・リーが任命されるまで国際連合事務総長代理に就任した。
アンバサダー
ロンドンに戻ったジェブは、外相会議でアーネスト・ベヴィン外相の補佐役を務めた後、外務省の国連顧問を務める(1946-47年)。ブリュッセル条約常設委員会に英国代表として出席し、大使の地位を得る。1950年から1954年まで国連大使、1954年から1960年まで駐パリ大使を務めた。
政治的キャリア
1960年、ジェブは世襲の貴族となり、グラッドウィン男爵として自由党の一員として政治に携わるようになった。1965年から1988年まで貴族院で自由党の副党首を務め、外交と国防のスポークスマンを務めた。欧州連合の支持者であり、1973年から1976年まで欧州議会の議員を務め、議会の政治委員会の副会長も務めた。1979年、欧州議会議員に当選を試みる。
1960年代初め、なぜ自由党に入ったのかと問われ、「自由党は将軍のいない政党であり、自分は政党のない将軍だ」と答えた。多くのリベラル派と同様、彼は教育こそが社会改革の鍵であると熱く信じていた。
死亡
1996年に死去し、サフォーク州ブランフィールドのセント・アンドリューズに埋葬されている。
グラッドウイン様
ジェブの妻シンシア(グラッドウィン夫人)は、パリ時代の日記で知られ、自由党とロンドン政界のホステスでもあった。彼女はイザムバード・キングダム・ブルネルの曾孫にあたる娘である。
栄誉
出版物・論文
グラッドウィン男爵の出版物は以下の通り。
- 緊張は必要なのか」(1959年
- 平和共存、1962年
- ヨーロッパの思想, 1966
- 1984年までの半生、1967年
- ドゴールのヨーロッパ、あるいは将軍はなぜノーと言うのか』(1969年
- ドゴール以後のヨーロッパ(1970年
- グラッドウィン卿の回顧録』(1972年
前任者 |
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