John Wayne Gacy, Jr.(1942年3月17日~1994年5月10日、発音はゲイシー)は、アメリカの連続殺人犯で、「殺人ピエロ」「ピエロのポゴ」とも呼ばれます。彼は33人の若い男性および10代の少年を殺害したと確認されており、多くの遺体をシカゴの自宅敷地や周辺に埋めるなどして隠しました。ゲイシーの犯行には銃は使われず、主に絞殺や窒息による殺害が行われたとされています。

ゲイシーは募金活動やパレードなど地域のイベントでピエロに扮することがあり、その陽気な仮面が後に「殺人ピエロ」という呼称と結びつきました。1980年3月に1972年から1978年にかけての33件の殺人および関連する性犯罪で有罪となり、死刑が宣告されました。1994年5月10日に死刑がイリノイ州の刑務所で薬物注射により執行され、最期に伝えられた言葉は「kiss my ass」でした。執行直前、ゲイシーはカトリックに改宗し、カトリックの神父による最後の儀式が行われました。

生い立ちと前歴

ゲイシーはシカゴ近郊で育ち、成人してから事業を経営する一方で地域社会に溶け込んでいました。外面は社交的で地域行事に積極的に参加する人物として知られていたため、周囲の信頼を得ていました。青年期から成人にかけての行動には性的嗜好や暴力的傾向に関する問題が指摘されており、警察からの相談や小さな犯罪歴があったと報告されています。

犯行の手口

ゲイシーは被害者を仕事の斡旋や車の相乗り、あるいは路上での接触などで誘い出すことが多く、被害者の多くは10代後半から20代前半の若い男性でした。捜査では、被害者を欺いて拘束し、性的暴行の上で絞殺または窒息させ、その遺体を自宅の床下や庭、周辺の捨て場に埋めたり遺棄したりしたことが明らかになっています。また、仮装や地域活動でのピエロ姿を利用して警戒を解かせたとされています。

捜査と逮捕

1978年後半に若年の男性が行方不明になったことをきっかけに捜査が進展し、関連する証言や物的証拠からゲイシーが容疑者として浮上しました。警察が自宅を捜索した結果、複数の遺体の痕跡や遺留品が発見され、これを受けて逮捕・起訴が行われました。捜査では長期にわたる行方不明者との関連の追及や法医学的な確認が行われ、多数の遺体が発見されていきました。

裁判と死刑判決

裁判では検察側が一貫して計画的かつ組織的に犯行が行われたことを主張し、被害者の特定や現場証拠、供述調書が提示されました。弁護側は精神状態や責任能力を争点にしましたが、陪審は有罪を認め、1980年3月に死刑判決が下されました。その後も長年にわたり控訴や救済請求が続き、最終的に1994年の執行に至るまで法的手続きが繰り返されました。

処刑とその過程

ゲイシーの死刑執行は多数の法的論争と手続きののちに行われ、執行の直前まで同情を求める動きや精神鑑定の再実施を求める申し立てが続きました。最終的にイリノイ州の刑務所で薬物注射による死刑が執行され、執行時の言動や手続きに関しては報道や関係者の証言が残っています。

被害者と遺族への配慮

ゲイシー事件は被害者数の多さと発見状況の残虐性から、遺族や地域社会に深い衝撃を与えました。事件後、被害者の特定や身元確認、遺族支援に長時間を要し、心理的・法的支援の必要性が改めて認識されました。また、行方不明者問題や若者の安全確保に関する議論の契機にもなりました。

社会的影響と表現

この事件はメディアや文化の中で繰り返し取り上げられ、多数の書籍、ドキュメンタリー、映画、テレビ番組の題材となりました。ピエロ像や地域の信用が事件によって傷つけられた一方で、犯罪捜査の手法や法制度に関する議論が深まり、捜査・被害者支援体制の見直しにもつながりました。

ゲイシー事件はアメリカ史上でも特に注目を集めた連続殺人事件の一つであり、犯罪の隠蔽方法や人物像、司法手続きの在り方について今も研究や議論が続いています。