トーマス・ケネス"ケン"マッティングリー2世(Thomas Kenneth "Ken" Mattingly II、1936年3月17日生まれ)は、元NASAの宇宙飛行士であり、アメリカ海軍の少将(Rear Admiral)である。アポロ計画で活躍した宇宙飛行士の一人であり、同計画ではアポロ8号とアポロ11号のサポートクルーを務めたほか、アポロ用宇宙服やポータブル生命維持装置(バックパック)の開発にも携わった。
アポロ13号とアポロ16号
マッティングリーは本来アポロ13号の搭乗予定クルーの一員であったが、打ち上げ前にドイツ出張中にはしか(風疹)に感染してしまい、クルーから外された。代わってジャック・スウィガートが参加し、その後のアポロ13号事故で知られることになった。
その後マッティングリーはアポロ16号(1972年4月16日〜27日)でアポロコマンドモジュールのパイロット(Command Module Pilot)を務めた。地球帰還までの期間、司令船「カスパー(Casper)」で単独で月周回軌道にとどまり、着陸したジョン・ヤングとチャールズ・デュークが月面で活動している間に軌道上実験や観測を担当した。
アポロ16号でのマッティングリーの業績には、月周回中に実施した26件の科学実験、軌道上からの詳細な写真撮影、各種観測機器の運用などが含まれる。彼は月周回軌道で単独に過ごした時間が「3日9時間28分」に及び、これはアメリカ人の単独宇宙飛行としては最長記録の一つとなった。また、帰還前にはサービスモジュールの科学観測機器(SIM)ベイに搭載されたフィルムカセットを回収するための船外活動(EVA)を行い、約1時間13分にわたって作業を完遂した。
スペースシャトル時代
アポロ計画終了後、マッティングリーはスペースシャトル計画に転じ、宇宙飛行士として2回のフライトでミッション・コマンダーを務めた。1回目は1982年6月26日〜7月4日に行われたSTS-4(スペースシャトル・コロンビアの第4回で最後の軌道試験飛行)で、同ミッションは地球を112周した。2回目は1985年1月に行われたSTS-51C(スペースシャトル・ディスカバリーでの飛行)で、マッティングリーは国防総省のための打ち上げを指揮するミッション・コマンダーを務めた。
経歴と退役
マッティングリーはイリノイ州シカゴで生まれ、フロリダ州で教育を受けたのち、オーバーン大学で航空工学の学位を取得した。1958年にアメリカ海軍に入隊してパイロット訓練を受け、その後テストパイロットとしての経験を積んだ。1966年にNASAの宇宙飛行士に選抜され、アポロ計画をはじめとする各種ミッションに参加した。宇宙での総飛行時間は約504時間に達し、1985年にNASAを退役した。
評価と遺産
マッティングリーは冷静な判断力と技術的能力で高く評価され、アポロ計画やスペースシャトル計画における重要な役割を果たした。特にアポロ13号からの不参加を乗り越えてアポロ16号で成功を収めたことや、軌道上での精密な科学観測・船外活動により、有人月探査と軌道科学の発展に貢献した人物として知られている。

