トーマス・ハント・モーガン:ショウジョウバエで染色体遺伝を証明した米国遺伝学者(ノーベル賞受賞)

トーマス・ハント・モーガンがショウジョウバエで染色体遺伝を実証し、遺伝学を確立した業績とノーベル賞受賞の背景を詳しく解説。

著者: Leandro Alegsa

トーマス・ハント・モーガンThomas Hunt Morgan、1866年9月25日 - 1945年12月4日)は、アメリカの遺伝学者であり、同時に発生学者でもありました。ケンタッキー州レキシントンで生まれ、古典的実験を通じて遺伝の物理的基盤を明らかにしたことから、20世紀の遺伝学の基礎を築いた人物です。1890年にジョンズ・ホプキンス大学で博士号を取得後、初期には発生学と胚発生の実験研究に従事しました。学問的基盤は発生学にありましたが、遺伝学の急速な発展に伴い研究の軸を移していきました。

経歴と研究拠点

モーガンは当初、発生学の研究者としてキャリアを重ね、やがて教育と研究の場を転々としました。1900年にメンデル遺伝が再発見されると、遺伝の実験的検証に強い関心を持つようになり、研究材料として果物のハエであるショウジョウバエ・メラノガスターの利用を始めました。1904年には、E.B.ウィルソンはモーガンをコロンビア大学へ招き、そこで「フライルーム」と呼ばれる集中的な実験室環境を構築しました。コロンビアでの環境は、モーガンとその弟子たちが短時間で多数の系統を扱い、反復実験を行うのに適していました。

ショウジョウバエ研究と主要発見

モーガンの最大の貢献は、遺伝子と染色体の関係を実験的に明確に示したことです。彼は実験を通じて、遺伝子が染色体上に位置し、染色体の配列や振る舞いが遺伝の機械的基礎となることを実証しました。これにより、染色体説(chromosome theory of inheritance)が確立され、遺伝学が単なる法則の体系から物理的な構造に結びつく科学へと変わりました。

具体的には、モーガンの研究室で見いだされた白目(white-eye)突然変異を用いた解析により、遺伝子が性染色体と結びついて遺伝する例が示されました。これによりオス・メス間で異なる遺伝様式が現れること(性連鎖)が理解され、ショウジョウバエではオスが異性遺伝性(XY)であることが確認されました。さらに、モーガンの研究は「結合」と「反発」と呼ばれた現象の実体が、染色体上の遺伝子の近接(リンケージ)と、交差(組換え)による遺伝子再配列で説明できることを示しました。

モーガン自身が組換えの理論を精密に定式化したわけではありませんが、彼の研究室からは組換えを利用して遺伝子の順序と距離を示す初の遺伝地図を作成したアルフレッド・スターテバント(アルフレッド・スターテバント)ら優れた研究者が輩出されました。また、同じグループからは放射線による突然変異誘起を示したハーマン・ミューラーなど、重要な成果が次々と生まれました。

方法論とショウジョウバエの選択

ショウジョウバエを実験材料として選んだ理由は多岐にわたります。短い世代時間、多数の子孫を得られること、飼育が容易であること、そして比較的単純な染色体系(小さな染色体群)を持つことが、遺伝学実験に極めて適していました。モーガンはこれらの利点を最大限に生かし、系統保存と交配実験を精緻に行うことで、遺伝子の挙動を明らかにしました。

著作と学術的影響

モーガンは生涯で22冊の本と約370の科学論文を執筆し、研究結果を体系的にまとめました。代表的な共著に『The Mechanism of Mendelian Heredity』(1915年)などがあり、これらは当時の遺伝学を総括する基礎文献となりました。彼の研究と教育活動により、ショウジョウバエは遺伝学の主要な「モデル生物」」となり、その後の分子遺伝学や発生遺伝学にも大きな道を開きました。

カリフォルニア工科大学と後年

1928年にモーガンはカリフォルニアに移り、カリフォルニア工科大学(CalTech)で生物学部長に就任しました。ここでも彼は学部の組織化と人材育成に努め、遺伝学進化、実験的発生学、生理学、生物物理学、生化学でしたといった幅広い分野での研究を奨励しました。彼の下からは多くの優れた研究者が巣立ち、CalTechの生物学部門は後に多数の重要な業績を輩出する基盤となりました。

ノーベル賞と評価

モーガンは1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。遺伝学の分野で最初に同賞を受けた人物であり、染色体が遺伝に果たす役割についての彼の実験的発見が高く評価されました。受賞は彼個人の功績を顕彰するものでしたが、ラボで重要な成果を上げた弟子たち(たとえばアルフレッド・スターテバントら)と賞が共有されなかったことは一部で議論を呼びました。

遺産と現代への影響

モーガンの仕事は、遺伝学を定量的・機構的な学問へと転換し、以降の分子生物学やゲノム研究の基礎を築きました。彼のラボで育った研究者たちがそれぞれの分野で成果を挙げたこともあり、彼がカリフォルニア工科大学で始めた生物学部門では、7人のノーベル賞受賞者を輩出するなど、大きな学術的波及効果を残しました。

総じて、トーマス・ハント・モーガンは実験的検証に基づいて遺伝の物理的根拠を示したことで知られ、その業績は現代の遺伝学・発生学・進化学を理解する上で不可欠な基盤となっています。

質問と回答

Q:トーマス・ハント・モーガンとは何者ですか?


A:トーマス・ハント・モーガンはアメリカの遺伝学者、発生学者で、1890年にジョンズ・ホプキンス大学で博士号を取得し、ブリンマー大学在学中に発生学を研究していました。

Q: 1900年にメンデル遺伝が再発見された後、モーガンはどのような研究をしたのですか?


A: 1900年にメンデル遺伝が再発見された後、モーガンはショウジョウバエに研究を移しました。

Q: 1928年、モーガンはどこに引っ越したのですか?


A:1928年、モーガンはカリフォルニアに移り、カリフォルニア工科大学(CalTech)の生物学部門を率いることになりました。

Q: モーガンはどのような研究に力を注いでいたのですか?


A: カリフォルニア工科大学では、遺伝学と進化学、実験発生学、生理学、生物物理学、生化学に焦点を当てました。

Q: ノーベル賞はいつ授与されたのですか?


A: 1933年、モーガンは遺伝における染色体の役割に関する発見により、ノーベル生理学・医学賞を授与されました。

Q: 「結合」と「反発」とは何ですか?


A:「結合」と「反発」は、1909年と1910年にイギリスの研究者がスイートピーを使って発見した関連性で、後に連鎖と呼ばれるようになりました。

Q:モーガンは生涯で何冊の本や論文を書いたのですか?


A:モルガンは、その優れたキャリアの中で、22冊の本と370の科学論文を書きました。


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