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紀元前40年―ローマ政治、暦の不確実性、主な出来事

紀元前40年を概説。ユリウス暦における年の位置の不確実性、ローマの権力闘争(ブルンディシウム条約とペルシア戦争後)、ヘロデとユダヤ、著名な人物と影響を扱う。

概要

紀元前40年は、共和政ローマ末期における政治的再編と、初期ユリウス暦上の位置が不確実であることによって特徴づけられる年である。古代と現代の史料ではカルウィヌスとポリオの執政官年として記録される一方、この年が平年であったか閏年であったか、また何曜日に始まったかについては、年代復元の見解が分かれている。当時の暦法運用上の誤りのため、歴史家は、この年が木曜日金曜日土曜日のいずれに始まったのか、あるいはユリウス暦において木曜日または金曜日に始まる閏年として扱うべきかを確定できていない。

政治的事件と勢力の再編

紀元前40年の中心的な出来事は、第二回三頭政治を構成する勢力間での権力の組み替えであった。内戦と短期間のペルシア戦争の後、指導者たちは広範な戦闘を継続するよりも交渉へ向かった。一般にブルンディシウム条約と呼ばれる和解は、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)とマルクス・アントニウスの勢力圏をおおむね分割した。また、王朝的結婚によってローマの安定を図り、協定を確かなものとするため、オクタウィアヌスの姉オクタウィアがアントニウスと結婚した。一方、セクストゥス・ポンペイウスはシチリアとその海軍の支配を維持しており、ローマの穀物供給にとって継続的な戦略的脅威となっていた。

ユダヤと東方

東地中海では、パルティアの介入と地域の対立が従属王国の体制を変化させた。パルティア軍とその同盟者はユダヤの一部を占領し、アンティゴノスを王位請求者として擁立した。これに対しローマ元老院はヘロデをユダヤの王と宣言し、ヘロデはその後数年にわたって軍事的にこの地位を確保することになる。こうした変化は、従属国に対するローマの影響力の増大と、共和政が帝政的支配へ移行する過程に伴う不安定さを示している。

著名な人物と影響

  • ペルシアでの争いの勃発に関与した、マルクス・アントニウスの有力な妻フルウィアは、東方でアントニウスの同盟者に同行中の紀元前40年に死去した。
  • ガイウス・アシニウス・ポリオとガイウス・カルウィシウス・サビヌスが、この年の公式の政務官職である執政官を務めた。
  • 三頭政治者間の対立の継続とセクストゥス・ポンペイウスの海上優勢は、後の協定と戦争の舞台を整え、ローマが単独支配者の体制へ移ることにつながった。

紀元前40年は大規模な文化的画期で名高い年ではないが、ローマ内戦の一段階の終結と、帝政的秩序へと至る外交的・王朝的取り決めの始まりを記録した点で重要である。初期ユリウス暦の運用に由来する暦上の不確実性は、古代の改革が導入されたばかりの時期には、基本的な年代情報でさえ曖昧になりうることを示している。

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AlegsaOnline.com 紀元前40年―ローマ政治、暦の不確実性、主な出来事

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