ジョン・C・ブレッキンリッジ | 米国副大統領・南部連合国高官
ジョン・C・ブレッキンリッジ(1821年~1875年)は、米国の政治家・軍人。第14代副大統領、1860年の南部民主党大統領候補を務め、南北戦争中には南部連合国の高級将校および最後の陸軍長官となった。
概要
ジョン・キャベル・ブレッキンリッジ(John Cabell Breckinridge、1821年1月16日~1875年5月17日)は、ケンタッキー州出身のアメリカ合衆国の弁護士、政治家である。連邦下院議員、連邦上院議員、第14代アメリカ合衆国副大統領を務めた。1856年の選挙でジェームズ・ブキャナン大統領とともに副大統領に選出され、現在に至るまで同職に就いた最年少者である。のちに1860年の大統領選挙で南部民主党の候補となり、敗北後は南北戦争において南部連合国を支持した。
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10 画像初期の経歴と国政での台頭
ブレッキンリッジは1840年代から1850年代にかけて、ケンタッキー州で法律家および民主党の政治家として地位を築いた。1850年代初頭には連邦下院議員を務め、1857年から1861年までの任期の副大統領に選出された。卓越した演説力と南部民主党の立場との一致で知られ、奴隷制、州の権限、新たな領土への奴隷制拡大をめぐる論争で重要な存在となった。これらの問題は、南北戦争前の10年間に国政を分裂させた。
1860年選挙とその帰結
1860年、民主党は地域的な対立に沿って分裂した。北部民主党はスティーブン・A・ダグラスを候補に指名し、南部民主党は大統領候補としてブレッキンリッジを支持した。この分裂は同党の選挙上の見通しを弱め、エイブラハム・リンカーンの勝利の一因となった。ブレッキンリッジはディープサウスの大部分で勝利したが、選挙後に続いた地域間危機を防ぐだけの支持を得ることはできなかった。
南北戦争での活動
戦闘開始後、ブレッキンリッジによる南部連合国支持は、彼の合衆国における国政経歴を終わらせた。反乱を支持したことを理由に、1861年に連邦上院から除名された。彼は南部連合国軍の任官を受諾し、西部戦域およびシェナンドー渓谷での作戦において上級野戦将校として勤務した。ニューマーケットの戦いなどで部隊を指揮し、その後は南部連合国の陸軍省に勤務した。南部連合国の末期には陸軍長官に任命された。
亡命、帰還と遺産
南部連合国の崩壊後、ブレッキンリッジは数年間亡命し、海外で過ごしたのち、戦後の恩赦政策の適用を受けて1869年に故郷ケンタッキー州へ戻った。以後はより静かな公的生活を送り、1875年に死去した。歴史家による評価は分かれている。彼は高位の公職へ急速に昇り詰めた人物、地域間危機における役割、南部連合国での軍事指導者としての活動、そして戦後期における忠誠と和解の複雑さを示す人物として記憶されている。
主な事実と特徴
- 最年少の副大統領:ブレッキンリッジは30代で副大統領に就任し、アメリカ史上で現在も最年少の副大統領である。
- 1860年の候補者指名への影響:北部民主党と南部民主党の分裂は、エイブラハム・リンカーンを大統領へ導いた選挙結果の形成に寄与した。
- 南部連合国での勤務:戦争中、高位の合衆国公職から南部連合国の上級職へ移った、よく知られた全国的人物の一人である。
- 戦後の帰還:ほかの複数の元南部連合国関係者と同様、連邦政府の和解措置のもとで民間生活へ復帰する前に海外で過ごした。
関連文献・参考資料
- 伝記と生い立ち
- 連邦議会での職務
- 副大統領職(1857年~1861年)
- 1860年大統領選挙の概要
- 南北戦争での軍歴
- ニューマーケットの戦い
- シェナンドー渓谷での勤務
- 連邦上院からの除名
- 南部連合国政府と陸軍省
- 亡命とケンタッキー州への帰還
- 家族とケンタッキー州とのつながり
- 政治的立場と演説
- 軍における昇進と指揮
- 同時代の評価
- 戦後の和解
- 州および国民的記憶における遺産
- 一次史料と書簡
著者
AlegsaOnline.com ジョン・C・ブレッキンリッジ | 米国副大統領・南部連合国高官 Leandro Alegsa
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